
vol.261-2007/02/01
「終止符・・・そして・・・始動」
三園の合同発表会に向け始動します
vol.258-2006/11/01
「第三者評価を受審しました」
vol.256-2006/09/01
「児童福祉施設福祉サービス第三者評価を受審します」
vol.255-2006/07/01
「認定こども園」がスタートします・・・・・・私が気になっていること
vol.254-2006/06/01
「娘の心の闇 信じられぬ」 〜 加害女児両親の手記全文 〜
vol.253-2006/05/01
「輔仁会」命名の由来
vol.250-2006/02/01
「たんぽぽ音楽会」青組さんの演奏に大きな拍手
vol.247-2005/11/01 「ある地球環境保護運動家の話を聞いて」美しい地球を子ども達へ
vol.245-2005/09/01 「歴史の重み」新宮つぼみ保育園のこと、そして、つぼみ保育園は
vol.244-2005/07/01
「福岡市が第3子優遇事業を10月から開始」
vol.243-2005/06/01 「40周年記念のログハウス造り始まる」
vol.240-2005/03/01
「発表会を終えて」 と 「アメリカインディアンの教え」
vol.239-2005/02/01
「40歳の誕生祝い 1月30日/リーセントホテルにて」
vol.237-2004/12/01
「三位一体の改革 決着 !?!!?」
vol.235-2004/10/01
「40周年記念大運動会」
vol.232-2004/06/01
「幼児のはし刺し 要注意」
vol.231-2004/05/01
「食卓の向こう側 第二部 『命』をつなぐために」より
vol.228-2004/02/01
「どんぐり山 完成!!」
vol.226-2003/12/01
「合奏への思い」 大浦まゆみ
vol.225-2003/11/01
「運動会のアンケートに答えて」
大久保
vol.223-2003/09/01
「千の風」
vol.222-2003/07/01
「保育園」と「補助金」と「三位一体」
vol.220-2003/05/01
「動物たちとの悲しい別れ」
vol.218-2003/03/01
「法人の合併について」
vol.215-2002/12/01
「日本語の乱れ」
vol.214-2002/11/01
「北朝鮮から帰国した五人の人たちのこと」
vol.213-2002/10/01「運動会も基礎構造改革!!」開会式の取り止め/自家用車の駐車禁止
vol.212-2002/09/01「娘の心」
vol.211-2002/07/01「いじめ」と「意地悪」
vol.210-2002/06/01-1「三度目のインド」
vol.210-2002/06/01-2「子ども達の歯について」
vol.207-2002/03/01「エルトゥールル号の遭難」
vol.206-2002/02/01「さらば3.14」って、本当!?」小学校にも電卓持参の時代が?
vol.204-2001/12/01「早期教育という脅迫状」
vol.203-2001/11/01「もしも世界の人口が100人だったら」
vol.202-2001/10/01「運動会、風にも負けず!!」
vol.201-2001/09/01「ひこうきぐも
リニューアル 再出発」
vol.200-2001/07/01「大阪の事件」
vol.198-2001/05/01「メールアンケート」
vol.192-2001/02/01「苦情解決に向けて、システム作りが法制化」
vol.188-2000/06/01「インド再訪」
vol.185-2000/03/01「発表会、感動の舞台」「実家としての一時保育」
vol.184-2000/02/01「青組さん、頑張る」
vol.183-2000/01/01「子どもの権利条約」
vol.182-1999/12/01「見逃さないで!!
こどもの虐待」
vol.180-1999/10/01「運動会も無事終了、そして、ダイエーも優勝!」
vol.173-1999/02/01「母乳か?人工乳か?」
vol.172-1999/01/01「友愛セールのお礼
& 園舎を塗り替えます」
vol.169-1998/10/01「雨もまた楽し(運動会)」
vol.168-1998/09/01「布オムツを使う理由」

終止符 ・・・ そして ・・・ 始動 ■■■■■vol.261-2007/02/01
たんぽぽ音楽発表会参加に終止符を打つことにしました
来年度は三園の合同発表会に向け始動します。
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去る1月21日日曜日、たんぽぽ音楽発表会も盛会裡に終わり、その感動は未だ私の心の一隅にあります。
30年間、たんぽぽ研究会の一員として他園と共に切磋琢磨し、幼児音楽研究の確かな手応えを感じ、活動できたことを誇りに思っています。
もちろん、子どもたちにとって、保護者の皆様にとって、園生活の思い出として「たんぽぽ発表会」は大きな存在であったことだとも思っています。毎年の演奏は素晴らしい感動を与えてくれましたし、子どもたちの凛(りん)とした姿、演奏が終わった後の達成感一杯の表情にこの取り組みの意義深さを教えられてまいりました。
一方で、我が輔仁会には、つぼみ保育園・さわらび保育園・新宮つぼみ保育園の三保育園があり、常より三園合同の発表会が出来たらと構想を抱いていました。
合奏だけではなく、劇や合唱、さらには保護者の皆様の参加も企画して身近な発表交換会のようなものができたら楽しいだろうと思ってきました。
そこで、次年度は新設の新宮つぼみ保育園も、いよいよ三年目を迎え、その活動も安定期に入りそうですので、この際、三園合同の発表会の実現に向けて
始動 することに致しました。
しかしながら、ここで大きな障壁となったのが、開催時期が重なってしまうたんぽぽ発表会への取組みとの併走でした。三園の幹部職員との話し合いの結果、子どもたちの生活リズムへの負担を考えたとき、二兎(にと)を追うのは無理だとの判断に達しました。苦渋の結論として、つぼみ、さわらび両園についてたんぽぽ音楽研究会活動に
終止符 を打つ決心を致しました。
我が子の「たんぽぽ音楽発表会」出演を楽しみにしていらっしゃった、つぼみ・さわらびの保護者の皆様におかれましては、誠に申し訳ないことと存じます。しかし、それ以上の感動を味わえるよう、私たち三園の職員も共同して、一所懸命取り組んでまいります。
理念に掲げる「子どもたちに最善の喜び」を目指す気概に一点の曇りもありません。
どうぞ、ご理解をたまわり、子どもたちの新たなる挑戦に惜しみないご協力とご支援をお願い致します。
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第三者評価を受審しました ■■■■■vol.258-2006/11/01
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9月号でもお知らせをしていました「児童福祉施設福祉サービスの第三者評価」を去る10月16日に受審しました。来園された評価者は大阪と熊本にある大学の教授2名と、宮崎の保育園園長の計3名の方々でした。
当日は、朝8時30分にお出でになり、先ず、登園風景を観察、受け入れ状況等が調査されました。
9時30分から職員朝礼の立会、業務指示等の観察がなされました。
一日の作業手順の打ち合わせの後、お一人が事務室に残り、管理職への聞き取りが行われました。保育理念の周知の仕方や保育計画の立案手順等、詳細にわたって調査が行われました。
一方、別のお二人は年少組と年長組に分かれて保育風景を観察、現場で保育士に質問がなされました。
昼食をはさみ、栄養士への聞き取り、何人かの保育士への聞き取りが行われ、午後4時から降園風景や延長保育への移行の状況等が観察され、長い一日が終わりました。
後日、評価者の方々が評価機関に調査内容を持ち帰り、検討が行われ、その結果、項目ごとにA・B・Cの評価が付されたものが送り返され、その後、インターネット上で公表されることとなります。
私たちは、この評価受審をすることを決定した後、日頃の業務内容の検証をしました。すると、判ってるつもりのことが全員へ徹底してないことが多くあることを発見し、それを文章化し基準便覧(マニュアル)としてまとめる作業をしました。
さらに、自己評価をする段階で、職員の間の認識のズレや、理解度に差があることなどに気づかされました。また、みなさんにご協力をいただいたアンケートは評価結果と共に集計結果が送り返されます。その結果から、保護者の方々に、より支持されている点や、不満に思われている点が明らかになるはずです。
今回の取り組みを通じ、多くのことに気づき修正ができたことに加え、基準便覧という財産を手にすることができました。今回の評価受審への取り組みは大いなる意義があったと思っています。ご協力に心から感謝申し上げます。
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児童福祉施設福祉サービス第三者評価を受審します ■■■■■vol.256-2006/09/01
保護者の皆様のご協力が必要です
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児童福祉施設福祉サービスの第三者評価を受審することになりました。この第三者評価とは、保育園、児童養護施設、母子生活支援施設および乳児院で行われている福祉サービスを、公正で中立な第三者機関が、専門的で客観的な立場から評価するものです。
9月後半から始まり今年度末まで、下記に示すような保育園の自己評価、利用者アンケート、及び、2回の訪問調査が行われます。
■その目的は、
@それぞれの児童福祉施設で行われている福祉サービスの質を向上させること
A利用者が施設を選択する際に役立つ情報を提供すること等利用者本位の福祉を目指すため
この2点を達成することが第三者評価の目的です。では誰が評価をするのかというと、公が認定した評価機関の評価調査者が行います。調査者は保育園の園長等の現場体験者や保育士を養成する学校の教員等で、調査者としての認定を受けている人たちで、彼らが3人1組となって評価を行います。
■調査方法は
(1) 自己評価
園長をはじめ、できる限り多くの職員が参加し、評価調査チームが用いる評価基準と同じものを使って、日ごろの事業運営状況を自己評価し、評価機関に送付します。
(2) 利用者アンケート
施設の利用者の方々に、それぞれの施設が提供する福祉サービスにどれだけ満足しているのかを、無記名で答えてもらうものです。
(3) 訪問調査
評価調査チーム3名が来園し、1日を通して調査を行います。たとえば保育所の場合、原則として登園時から降園時までとなります。訪問調査では、施設の職員への聴き取りと、施設における日常的な活動の観察を行います。
私たちは、自己評価をする段階で、職員の間の認識のズレや、施設の運営理念や方針についての理解度に差があることなどに気づかされるかもしれません。また、利用者アンケートでは、保護者の方々の意見もさまざまなものが出されるはずです。園側の自己評価と異なる回答が寄せられることもあるでしょう。皆様に、より支持されている点や、不満に思われている点を明らかにするとともに、多くのことに気づくチャンスを得ることができるでしょう。今回の受審の大きな意義はそこにあると思っています。
もちろん、アンケートは無記名で、しかも、皆様が直接評価機関へ郵送する方法をとりますので、どなたがどんな答を出されているのかは全く判りません。どうぞ、忌憚のないご意見をお書き下さい。また、アンケートの回収率自体も園と保護者の信頼関係や協力度の評価指標になるとも聞き及びます。お忙しいとは存じますが、保育の質向上のため、皆様のご協力をよろしくお願い致します。
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『認定こども園』がスタートします・・・・・・私が気になっていること ■■■■■vol.255-2006/07/01
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鳴り物入りの「認定こども園」法案が、6月9日の参議院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立し、今年の10月1日から認定こども園がスタートすることになりました。
「認定こども園」とは、保育園や幼稚園では、対応しきれないそれぞれの地域の二ーズに応じた選択肢を提供することによって、これらの地域の利用者の期待に応えていこうという制度といわれています。しかし、新聞等では「新法成立・・・・・保育園と幼稚園が一元化される」との見出しがおどり、全国的に幼保一体化が進むんだという間違った見方の報道がなされ、多くの保育現場でもこれから保育園はどうなるのか、全ての保育園が認定こども園になるのか、という不安や戸惑いがささやかれています。専門家でさえ誤解をしてしまう、それほど判りにくい制度だといえると思います。
保育園や幼稚園のほかに、新たな形態の第3の保育施設ができるものではなく、これまでの保育園・幼稚園制度はそのまま存続し、両者の機能が連携できるように一部の地域を中心に認定されるものであって、保育園が全て認定こども園に移行するものではありません。
もっと具体的にいうと、仮に、つぼみ保育園が認定を受けたとして、名称が変わるかというと変わりませんし、普段の生活内容が変わるかというと変わりません。変化が見られるのは、認定を受けた「こども園」としての定員を仮に15名とすると、15名まではお母さんが仕事をしていない家庭のお子さんも受け入れられるようになるということなのです。
私が気になっているのは、いや、憤っているのは、この法案が練られる段階で厚労省・文科省のお役人さんや国会議員の先生方による論議が「保育園には教育機能がないので幼稚園の教育機能をプラスしたほうが良いのではないか」という誤解の上に成り立っているということなのです。勿論、新聞等の論調もこの誤解をそのまま受け入れてしまっているケースが多いことも付け加えねばなりません。
確かに、保育園の起源にさかのぼれば、終戦の荒廃の中、街をさまよう子どもたちを預かり、食事をさせ生活の介助をするための施設でありました。先人のご努力で教育を受けさせるための国庫補助を勝ち取り、現在は、幼稚園と同等の教育を行える人的及び物的な環境を準備することができるようになっています。そんな現状を知らずして、「保育園は託児、幼稚園は教育」とくくってしまう人々に無性に腹が立っているのであります。
では、「おまえがいうところの幼児教育とは何なんだ」と問われるかも知れません。そうなんです、保育園の現在の姿を世に知らしめる努力を怠ってきた責任は我々にあるのかも知れません。
私は社団法人福岡市保育協会の理事をしています。今、ここでの仕事として仲間と語り合っているのが、まさにこのこと、すなわち保育園の真の姿を発信したいね、ということなのです。
保育園を利用している皆様は保育園の何たるかは周知のことです。私たちが情報を発信したい対象はお役人さんや国会議員をはじめとする政治家など保育園に縁の無い方々なのです。
時々、あることなのですが保育園に通っていながら、田舎のお爺ちゃんが「保育園になんか行ってると小学校で遅れてしまうぞ」といわれ、泣く泣く幼稚園に行かせなければならなくなってしまうケースがあったりします。こんな時代錯誤のお爺ちゃんにも発信をしたいと思っています。
どのような方法がよいのかを模索中です、その課程で考えさせられることが沢山出てきそうです、そのへんは続報の形でご紹介することに致しましょう、お楽しみに。
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「娘の心の闇 信じられぬ」 〜 加害女児両親の手記全文
〜 ■■■■■vol.254-2006/06/01
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佐世保小六女児殺害事件の加害女児両親が初めて手記を公表した。子を持つ親として同情と憐憫の情を禁じ得ない。
『娘が起こしてしまった事件から目をそらさず、決して逃げないようにするつもりです。』 と両親は一生を懸け償うお気持ちのようだ。一方で被害女児の父親は「時を経ても苦しさが増すとは思い及ばず、戸惑っています」と心境を明らかにしている。双方の苦しみは永遠に消え去ることはないだろう。・・・・・・今、幼児期の心の育ちに直面している「保護者の皆様」と「我々保育者」は、順調に育っているようでも、この事件のように子どもの心はガラス細工のように突然壊れてしまうことを肝に銘じなければならない。
加害女児がそうだとは言えないが、幼児期の心の傷は深層に居残り、後に問題行動を誘発することは知られている。
子どもたちが心に傷を負ったとき発する信号に対して、我々大人はアンテナを高くしておく必要があることを再認識しようではありませんか。そのためにも以下の手記を是非ともお読み頂きたい。
私どもの娘が取り返しのつかない事件を起こしてしまってから、2年がたちました。
娘が大切な将来を奪ってしまった被害者様とご家族様に対しましては、どのようなお詫びをしても償いをしようとしても、しきれるものではありませんが、ただただ「申し訳ございません、一生償いを続けさせてください」と申し上げるばかりです。
私どもは、以前は子供が被害者になる事件のことを見聞きする度に、自分の子供が被害にあわないようにするためにはどうしたらいいだろうと考えたりしておりましたが、まさか自分の子供が重大な事件を起こして加害者になるとは想像したこともなく、連絡を受けても最初は信じられませんでした。
私どもは、家庭内で娘と普通に親子の会話をしているつもりでした。娘は、学校での出来事や、好きな本のことなどをいろいろと話してくれていました。身体に障害のある私のために、着替えなども手伝ってくれました。
娘が事件を起こす2、3日前、私は「チソン、愛してるよ」という本の広告を見つけました。交通事故で顔と身体にひどい火傷(やけど)と障害を負った韓国の女子大生が、最初は絶望していたけれども、やがてありのままの自分を見つめ、全身の障害と戦いながら前向きに生きるようになるまでを書いた手記だということでした。私が娘に内容を説明して「こんな本があるよ。すごいね。読んでみる?」と尋ねると、娘は興味を持った様子で、「読んでみたい」と言いましたので、私はすぐにこの本を注文しました。
事件の前夜、私が娘に「今日、本を発送したそうだよ。2、3日で届くよ。楽しみだね」と言いましたら、娘はにこにこして嬉しそうに「うん」とうなずいていました。しかし、その翌日に、娘は事件を起こしてしまいました。
あのような本に興味を示して、私の話も素直に聞いていた娘の心の中に、恐ろしい考えが隠れていたとは、今でも信じられない気持ちです。(この本は、後日施設で娘に差し入れて読ませました。娘は感想文を添えた手紙を送ってくれました。)
私どもは、現在もずっと、どうして娘があんなことをするような子供になってしまったのだろうと考え続けております。いくら考えても答えは見つかりませんが、娘の考えや行動をきちんと見守ることができなかった私どもに大きな責任があることは間違いありません。
この2年間、どのようにすれば償いができるかを考えてまいりました。どのような形でお詫びをしようと、娘が起こしてしまった取り返しのつかない行為の責任、そしてあのような娘を形作った私どもの責任の償いができるとは、とうてい思いませんが、私どもは、あの子を育てた親として、自分たちの至らなかった点を考えて反省し、娘が起こしてしまった事件から目をそらさず、決して逃げないようにするつもりです。
娘は現在、専門の先生方のご指導の下で、人間としての正しい心を身につけるための勉強を続けております。最近では、面会のときに、自分がなぜあんなことをしたのだろうと考え込んだり、(被害者様の)お父さんは私のことをどう思っているだろうと言ったり、反省の言葉を自分から手紙に書いてくるようになり、私どもも娘の心の大きな変化を感じております。
娘には、自分がしたことの重大さをよくかみしめさせ、親子で一緒に、一生懸命謝罪し続けていくつもりです。
事件当時の同級生、在校生、保護者の皆様、担任の先生、校長先生をはじめ諸先生方、その他の地元の皆様には、言葉では言えないほどの大変な苦痛、ご迷惑をおかけしました。大変遅くなってしまいましたが、心から深くお詫び申し上げます。
全国の皆様にも、不安と御心配をおかけしました。この機会をお借りして、皆々様に心からお詫び申し上げます。
最後に、被害者様とご家族様に改めて深く深くお詫び申し上げるとともに、心から被害者様のご冥福をお祈りさせていただきます。
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「輔仁会」命名の由来 ・・・ ■■■■■vol.253-2006/05/01
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「曾子曰、君子以文会友、以友輔仁」
論語 / 顔淵 篇
法人名の名称の由来について書いてみました。実は、理事長の私もこの名の由来については、『私の祖父(大浦貫道/故人)が、初代理事長の大浦仁子(私の母)に、法人設立に際し論語から採って贈ったということ、本来の意味とは別に、「仁子の事業意志を助ける(輔ける)」をかけたということ』以外にその詳細については知りませんでした。
母が体調を崩して入院を繰り返した昨年(今は回復して元気)、きちんと調べておく必要があると思い、今まで縁の無かった『論語』をひもといてみました。そして、ようやく上記の一文に至ったのです。この解釈については多くの学者によるものがありましたが、平易な文章で記してあったものの一つをご紹介いたします。
曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く
「曾子が言われた、君子は文事によって友達を集め、友達によって仁の成長を助ける。」
自分ひとりで教養を身につけるよりも、異なった人間素養を身につけた友人を沢山持ち、切磋琢磨して、お互いの人格向上のために、相互啓発に努めることは大いなる財産である。
友人を持つこと、そして彼らから得る智慧は、一人で苦しんで得るよりも多くの方向性を生み出す。判断の誤りを少しでも少なくできるだけでなく、もっと広い見地から物事を判断する材料を与えてもらえるものである。
ここで言う『仁』は、相手をゆるし信じあえる心をさしており、その心のふれあいを通して相互の進歩向上ができる心を指している。大いなる心である。
祖父が母にこのような「輔仁」の本来の意味伝え、さらに、社会福祉事業の目的を達成するための重要な意味を含んでいることを言葉として贈ったことに間違いはなかったと思います。何せ、40年も前の口述ですから、具体的にどのような内容であったのかが定かではありません。母の記憶を頼りに、祖父がどのような意味づけをしたのかを私の主観も少々入ってはいますが、下記のように文章化してみました。
子育ては一人でできるものではない。
子どもを核として、子と親、親と親、子と子、子と保育者、保育者と保育者、
そして、親と保育者という関係が成り立つ。
お互いが切磋琢磨し、相互啓発することによりその関係性が深まる。
子にとって、親にとって、保育者にとってそれは大いなる財産である。
育つ者、育てる者の三者の関係の中にいること、そして、相手から得る知恵は、
子ども自身の成長と親と保育者の子育てに多くの方向性を生み出し、
子育ての誤りを少しでも少なくできるだけでなく、
もっと広い見地から物事を判断する材料を与えてもらえるものである。
保育園を経営する社会福祉法人にとって、最も大切なものは『人』である、特に「人と人の関係が良好に運び、お互いに啓発し合い向上してこそ素晴らしい子育てのお手伝いができるのだよ」と、祖父は伝えたかったのではないだろうか。
今後も、輔仁会という名を汚さぬよう、この精神を今後の法人運営の課題として、なおいっそう大切にしていきたい。
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「たんぽぽ音楽会」青組さんの演奏に大きな拍手 ・・・ ■■■■■vol.250-2006/02/01
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1月29日に青組さんたちが「たんぽぽ音楽祭」に出場し、万雷の拍手をいただきました。子どもたち一人一人が曲想をよく理解し、子どもたちが合奏の主体となって曲を奏でるつぼみ保育園の演奏スタイルは毎年のことですが絶賛をいただきました。
今回の「雨の遊園地」も鍵盤ハーモニカ、アコーディオン、グロッケン(鉄琴)、マリンバ(木琴)、ティンパニーそしてピアノの構成でしたが美しいハーモニーを聴かせてくれました。多くの園が電子キーボードを駆使し、保育士が演奏する大音量で迫力を強調する中で、つぼみの合奏は派手さはないのですが、子どもたちの紡ぎ出すハーモニーは珠玉の演奏だったと自負しています。
ところで、私が姉妹園のさわらび保育園で保育士をしていた20数年前に、指揮棒をもって出場したといったら信じてもらえますか?
実際、2回出たんですよ。ハイドンの交響曲第94番2楽章、通称「びっくり交響曲」と呼ばれている曲をやったときのこと、練習中から「ここでお客さんを驚かすんだからね」と子どもたちと約束していました。そして本番、そこのフレーズにさしかかる前の子どもたちの、あの悪戯っぽい表情を今でも思い出します。実に強烈なフォルテッシモを出してくれました。
この「たんぽぽ音楽祭」も30回を数えます。記念誌を出すという事で原稿を頼まれましたので、次のようにつぼみ保育園の演奏への考え方を書きました。
私達が合奏をする上で大切だと思うことが三つあります。
「子ども達が演奏している楽器の音がはっきり聞こえること」
「子ども達が音楽を感じながら楽しく演奏していること」
「聴く人に音楽的な感動を呼び起こさせること」
の三つです。現代、私達の生活の中には電気的な音があふれ、アコースティックな楽器の生演奏が心に響いて、しみじみいいなと感じることが失われつつあるような気がしてなりません。だから本物の音を大切にしたい。鍵盤ハーモニカとアコーデイオンで織りなすハーモニー、リズムを刻み彩りとなる打楽器、そしてピアノがかけめぐり一つにまとめあげる、これが私達が追い求める幼児合奏の、真の姿だと思っています。・・・・・・・・
2月18日の発表会での演奏をご期待下さい。
【 園 長 】
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ある地球環境保護運動家の話を聞いて/美しい地球を子ども達へ・・・
■■■■■vol.247-2005/11/01
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アフリカのやせ衰えた少年が粗末な食器を一つ抱いて数時間の道のりを歩く。
援助物資である食料の配給を期待して歩く。
やっと着いたキャンプで今日の分は既に無くなったことを聞かされる。
力無く踵を返す少年に、“彼“は涙をこらえながら「また明日おいで、明日はきっとあるからね」と話しかける。
“彼“には、その少年が自分の村にたどり着く前に餓死するであろうことが判っていたのだ。
日本で1日に廃棄される食料は「3000万食」といわれている。
一方で、国連によると、いま世界で毎日およそ 24,000人の人々が飢餓あるいは飢餓に関連した死因で亡くなっている。そのうち4分の3は、5歳未満の子供たち。実に、3.6
秒に1人の割合で子供達が飢餓で亡くなっている。
“彼“は、一日一食しか食べない、それでも健康は維持できている。
日本では1年に、割り箸を「257億膳」使い捨てている。
材料の木材は97%が輸入に頼っている。その木材で木造住宅が2万軒建てられるという。
地球上の森林の砂漠化が進行し地球温暖化の原因となっているというのに。
“彼“は、どこに行くのにも自分の箸を持ち歩いている。
先月、和歌山での全国大会に出席した折、記念講演で“彼“の話を聞いて随分と考えさせられた。
“彼“は私たちの運動は非対立なんだと、誰をも非難する訳ではない、このような事実を知り、一人一人が考え、身近なことで、できることから改めてもらえればいい、という。
それで、浮いた浄財を寄付してもらえれば、冒頭に書いている少年に食料を与えることができる。その額は10円にも満たない。
アフリカで飢餓にあえぐ人たち、一家族の一ヶ月分の食料がたったの千円で準備できる。
“彼“はいう、「物での援助は莫大な輸送費で何にもならない、現地での調達こそが必要だ、そのためには浄財の寄付がベストだ。このような運動に理解を示す国民性を見てみると日本人は1%、欧州は70%に達する。」と
“彼“の名は“高木善之“ (ネットワーク「地球村」代表)
私の生活の中でこの「もったいなさ」がはたしてどのくらい存在するのかと考えてみると、あるわあるわ、数多くの無駄を見つけることができる。その一つ一つから手を付けてみようと思う。
【 園 長 】
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「歴史の重み」 ・・・ 新宮つぼみ保育園のこと、そして、つぼみ保育園は
・・・ ■■■■■vol.245-2005/09/01
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姉妹園「新宮つぼみ保育園」は7月に開園して以来、2か月が経過しました。スタッフの苦労も並大抵では無かったようです。多くの経験者を連れて行ったのはご存じの通りですが、やはり新規開園ともなれば、つぼみ保育園で4月当初、新園児を迎えた時の状況とは違います。約90名の子ども達が全員新園児なのですからその混沌とした状況は想像できますよね、加えて保護者の殆どの皆さんが保育園の利用は初めてなのですから何をか言わんやです。
この2か月の様子を見ていて、つぼみ保育園の歴史の重みを痛切に感じました。40年間のその重さは人の繋がりなんだということがよく分かりました。卒園児、保護者、職員の合計約4,500人弱、実に多くの人々がつぼみ保育園を核にして各々が関係性を持ってきました。そして、その皆さんから発せられる多くの情報が、良しに付け悪しきに付け、即ち、歴史の重みの実像なんだろうと思います。新たにつぼみ保育園の門をくぐられる方々は大なり小なりつぼみ保育園の何らかの情報を浴びているに違いありません。言い方を変えると、門をくぐるときは既にある程度、角がとれたお気持ちになっていると言うことなんでしょう。そして、また、新しい関係性が生まれます。
ところが、新宮つぼみ保育園ではそのような情報の蓄積が全くありませんので、保護者のみなさんは角張ったお気持ちのまま入園するし、迎える職員も、保育の流れや施設使用に不慣れだという意味では同様です。そこに生まれる関係性はつぼみ保育園のそれとは大きな落差があります。一寸したことで角と角がぶっつかり、その修復にも時間がかかるなんてことが沢山あっています。
40年前のつぼみ保育園も当初は同じような状況だったと思います。こちらに非があったり、誤解があったりして多くのぶっつかり合いがあったことでしょう。しかし、その度に、非を改め納得してもらい、話を聞いてもらって誤解を解き、その一つ一つを解決しながら園も成長し、保護者の皆様との良好な関係性を築き挙げてきたのだと思います。
今、園長として思うことは、つぼみ保育園の我々は歴史にあぐらをかかず、新宮での産みの苦しみを自らのことと感じ、今一度、足下を見据えることが大切なんだということです。
日々の保育を客観的に見る目がぼやけてはいないか、行事に追われ子ども達を置き去りにしてはいないかなど基本中の基本を洗い直すいい機会にしなければと思っています。子ども達にとって最も大切なことは、連綿と繋がる日々の成長を温かく見守り間髪を入れず適切な援助をして上げることであり、それこそが保育の真髄だということを職員と十分話し合い実現する努力を致します。
最後に法人の理事長として、新宮つぼみ保育園のスタッフがこの混沌とした状況を真摯な姿勢で受け止め、近い将来、築き上げることのできるであろう歴史に碇を降ろしたメンバーであることの誇りを持って、今後とも頑張ってもらいたいと念願しています。
【 園 長 】
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「福岡市が第3子優遇事業を10月から開始」 ■■■■■vol.244-2005/07/01
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新聞報道等でご存知かと思いますが福岡市は10月から第3子以降の児童を養育している父母その他の保護者を対象として第3子優遇事業を実施することにしました。子育て家庭における育児にかかる経済的支援を行い、保護者が安心と喜びを感じながら子育てができるよう社会全体で支援しようとするものです。
その内容は福岡市内に住所を有し、18歳未満の児を3人以上養育している者に対し、第3子以降の児童が、小学校就学前の3年間 (3歳児〜5歳児)の期間にある間支援を行うというもので、具体的には下記の通りです。
◆ 認可保育所 保育料の免除
◆ 市立幼稚園 保育料の免除
◆ 私立幼稚園については年額30万円(月額2万5千円)を上限に保育料の助成
◆ 障がい児通園施設負担金を免除
◆ 家庭保育などの児童については月額1万円の手当 (所得制限あり)
詳しいことは8月15日号市政だよりに掲載される予定
福岡市は少子化の進行を止め、安心と喜びを感じながら子育てができるようにと打ち出した事業ですが皆様はどう受け止められるでしょうか。当初の計画では、6歳までの全年齢が対象になるようなことだったと思いますが、結果的には3歳以上とその対象がせばめられました。
つぼみ保育園の158世帯のなかで17年度この事業で支援を受けるのは13世帯、この数字からみてもごくわずかの人しか対象にならないことがお判りでしょう。
福岡市民のアンケート(青少年に関する意識と行動調査)によると理想の子どもの数は3人が54.4%、2人が31.4%、1人は1.8%となっています。2〜3人子どもを生み育てたいと思っている人が多いなか、生めない理由のトップは子どもを育てるのにお金がかかるということだそうです。経済的負担が大きいことで第2子、第3子を生み育てたいけど生めないと思っている人が多いのでしょう。
福岡市が打ち出した第3子優遇事業は第3子で3歳児まで待たないと受けられないのです。経済的支援をといっていますが少子化対策へつながらないと大きな効果は期待できないのではないでしょうか。
他の市町村と比較するわけではありませんが第2子の保育料半額制度など独自の補助制度を実施しているところもあります。
次の世代を担う子どもが健やかに生まれ、いきいきと育つ環境をつくるのは社会全体の責任だとおもいます。今回、福岡市が第3子優遇事業をスタートさせたということは評価できるものですが、今後この事業が子育て負担の大きい0〜2歳児や第2子への対象の拡大などもっと多くの子育て世代の保護者へ適用されるように願ってやみません。
保育園は昼間、なんらかの理由により家庭保育ができない保護者の皆様を応援するためのさまざまな制度やサービスがあります。
私たちはお母さん、お父さんが子育てに夢と希望がもてるよう応援し、子ども一人ひとりのすこやかな成長を楽しみに子どもの生活とあそびを充実していきたいと思っています。
(副園長 大久保)
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「40周年記念のログハウス造り始まる」 ■■■■■vol.243-2005/06/01
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「発表会を終えて」 と 「アメリカインディアンの教え」 ■■■■■vol.240-2005/03/01
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発表会を終えて
発表会も終え、それぞれのクラスが卒園・進級に向け最後の仕上げに入ったところです。この一年間の子ども達個々の成長・発達は目を見張るものがあります。保護者の皆様も折に触れそのことをお感じになっていることと思います。特に保育園での行事では、普段の生活場面では見られない、違った子ども達の姿にその成長ぶりを実感していただけたのではと思います。それは、皆さんから提出されたアンケートに見て取ることができます。我が子の成長に感動したという珠玉の言葉に、私たち職員も感激いたしました。
アメリカインディアンの教え
先日、皇太子殿下が記者会見の席上で取り上げられた「子ども」という詩のことをご存じの方も沢山いらっしゃることでしょう。アメリカの教育学者ドロシー・ロ・ノルトの詩ということで紹介されていました。スウェーデンの教科書に掲載されていたとも紹介され、その教科書の注文が本屋さんに殺到しているとのことです。テレビでこの詩を耳にしたとき、聞き覚えがあるようなと思って調べたら、この「ひこうきぐも」平成3年2月の85号で、「アメリカインディアンの教え(子どもはこうして生き方を学びます)」というテーマでご紹介をしていた文章とほとんど同じものだったことが判りました。同じ内容の原文が訳者の解釈で違った表現になったのでしょうね。
ここで、ルーツ探しをするつもりはありません、お伝えしたいのはその内容です。
「 子 ど も 」 詩 : ドロシー・ロ・ノルト 訳 : 加藤諦三
批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもはものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは鈍い良心のもちぬしとなる
しかし
激励をうけた子どもは自信をおぼえる
寛容にであった子どもは忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは公正をおぼえる
友情を知る子どもは親切をおぼえる
安心を経験した子どもは信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じとることをおぼえる
家庭での親の行動や考え方は子どもの人格形成に大いなる影響を与える。「うちの子には困ってしまいます」と嘆いている方、「育て方を間違えたのでは」と方法論に救いを求めようとしている方、多くの親は自分自身の行動や考え方が「子どもという鏡」に写っていることに気づいていない。子どもは親の後姿を見て育っていることに気づいていない。いい子育てをしようと思うなら、まず親自身が変わる必要がある。とこの詩は訴えています。
しかし、マァこんな完璧な両親がいることは考えられない。でも、私がこんなだから仕方ないと諦めてはいけない。子どもを責めてはもっといけない。
せめて、一緒にがんばろうねと考えるようにはしたいものですね。子育てをもっと楽しみましょうよ。
【園長】
アメリカインディアンの教え ・・・・・ 子どもはこうして生き方を学びます (参考)
批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意に満ちた中で育った子は誰とでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
妬みを受けて育った子はいつも悪い事をしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりの中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大切にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つけます
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「40歳の誕生祝い 1月30日/リーセントホテルにて」
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「三位一体の改革 決着 !?!!? 11月26日 政府与党間で合意される」
■■■■■vol.237-2004/12/01
| 最近の三ヶ月、政府が断行しようとしていた「三位一体改革」に対し私ども保育関係者は振り回されてきました。新聞でも大々的に報じられていましたのでご存じの方もいらっしゃることでしょうが、少し触れておきたいと思います。
私立の認可保育園には国が保育所運営費という補助金を福岡市を通じて支弁しています。使途が保育に限定されている補助金ですから福岡市はそのお金を他には使ってはいけません。
政府(小泉総理)は三位一体改革でこれらの補助金を削ろうと考えていました。例えば、義務教育や保育のために使うお金や災害時に復旧工事に使うお金を削って、地方に任せてしまおうとしていたのです。
ところが、文部科学省や厚生労働省などの各省庁は補助金がなくなれば、各地方公共団体に対する権益が及ばなくなってしまうので抵抗し続けました。
業を煮やした政府(小泉総理)は、地方の知事や市長に地方分権推進の名の下に、これらの補助金を何でも使えるように一般財源としてあげるからその案をまとめてくれるよう持ちかけたところ、地方公共団体はそれぞれ財政が苦しいので、渡りに船と、一般財源化に加えて制度上の制約も取り除くことを案としてまとめ、8月に政府に提出しました。いわゆる地方六団体提案といわれているものです。
これが事の発端でした。
義務教育も保育もそれに対する費用を一般財源として渡してくれればそれぞれの地方で工夫してやらせてもらいますという訳ですから、赤字の県や市は安上がりの教育や保育の制度を独自で考え、浮いた費用は赤字の補填に充当できることになってしまいます。
私たちは10月17日日曜日、市民会館に4,000人を集め『保育所運営費一般財源化反対緊急集会』を開催しました。それに呼応するように全国でも集会がもたれ、全国の新聞にもその声明を出し、世の中に保育の危機を訴えました。その成果として、国会議員が動き、厚生労働省も保育所運営費は死守してくれることを約束してくれました。
そして、11月26日の政府と与党の話し合いで義務教育や保育等の国の責任でやるべき事業については一般財源化を免れることができたのであります。
なぜ私たち保育関係者が強硬に一般財源化を反対したのか、勿論、先に記したように保育費用が削られる恐れがあるからですが、それ以外にも理由がありました。制約を取り除くことで、
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延長保育などの特別保育実施率が低下する
・ 保護者の納める保育料が高くなる
・ 児童福祉法に定める子ども一人あたりの保育士数や部屋の面積等の最低基準が守られなくなる
・ 給食室を設けなくてもよくなり外部の配食センター等を利用して安上がりの給食が増える
等々、保育の質が低下するのが目に見えてきます。
兎にも角にも今回は危機を脱することができました。しかし、この決着がいつまで続くのかは今の政府(小泉総理)の考え方から行くと安心はできません。国の動向に目を光らせながら日本の世界に冠たる保育制度を守っていく責任が国民の全てに課せられています。
今後とも署名活動等で皆様のご協力をいただく事があるかも知れません、その節にはどうぞよろしくお願い致します。
【 園 長 】
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「40周年記念大運動会」 ■■■■■vol.235-2004/10/01
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運動会も無事に終わり、保育園にも普段の落ち着きが戻ってきました。多くのお客様においでいただき、大きな拍手、笑い声、熱い声援が絶えませんでした。実に楽しい運動会だったと思います。また、父母の会役員の皆様はもとより、前日当日のお手伝いいただいた保護者の皆様にも心からお礼を申し上げます、ありがとうございました。そして、40周年の記念に実行委員会よりオープニングに風船とばしとアドバルーンのプレゼントをいただき子ども達も大喜びでした、運動会に花を添えていただきました。
当園の運動会も年々少しずつではありますが進化と変貌を繰り返してきました。毎年毎年、職員会議で「より保育園らしい運動会って何だろう」と意見を出し合い頭をひねって取り組んできました。もちろん、皆さんからお寄せいただいているアンケートもずいぶん参考になっています。今年もたくさんのご意見をいただいて来年に向けて元気の元になっています、まだお出しになっていない方は是非よろしくお願い致します。さて、こちらの説明不足で不愉快な思いをなさっているかも知れないと思われるご意見もありますのでご返事をさせていただきます。
@ 学校内に車を駐車させて ・・・・・・
車での来場が多くなり、迷惑駐車・違法駐車で演技中に何度も移動のお願いの放送をしなければならなくなってしまったことや、近隣の方からの注意にトラブルが発生したりでやむなく全面駐車禁止にしています。
A 子ども達の入場行進が見たい、開会式はないのか ・・・・・・
開会式で入場行進は確かに可愛いものですが、開会式及び入場行進の練習時間がかなり子ども達の負担になっていたこともあり、現在のようなマスゲーム形式の開会プログラムにしました。
B 年少の子ども達の演技が少ない ・・・・・・
以前は年少も出番がもう少し多かったのですが子ども達が疲れて大変だとのご意見が多く、現在のように運動遊びと親子でのふれあい遊び併せたプログラムに変えてきました。
C テントが少ない、日陰が少ない ・・・・・・
以前はテントはありませんでした。その内、保護者の皆さんが町内のテントを借りてきて座るようになりました。だんだんその量も増え、借りて回るだけでも大変な仕事になりました。父母の会と相談をしてテントのレンタル料を予算化して頂いて現在のようになりました。準備も随分らくになりました。トラックに沿ってテントを張っていますがもういっぱいの状態です。お互いに少しずつ譲り合ってお座りいただけたらと思います。
D 帽子をかぶっていないのが気になる ・・・・・・
演技をする時、帽子で顔が隠れ見えにくいということが以前出ましたので、トラック内では帽子をかぶっていません。又つばを後ろにしてかぶってはというご意見もありますが、邪魔になったり帽子が脱げたりして、気にする子も多いので帽子はかぶらずに演技しています。
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「幼児のはし刺し 要注意」 ■■■■■vol.232-2004/06/01
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幼児の「はし刺し」要注意 一見軽傷、それがくせ者
幼い子が、はしなどを口の中に刺す事故が起こっている。多くは軽症で済んでいるが、一つ間違えると脳損傷など重大な事故につながりかねない。専門家は「親のちょっとした注意で危険はずいぶん減る」と呼びかけている。
(朝日新聞/中村通子)
脳や脊髄を傷付ける恐れ
昨年11月のある夜、大阪府立中河内救命救急センター(東大阪市)へ、2歳の男の子が救急車で運ばれてきた。大声で泣いていた。母親は、握り締めたはしを医師に見せた。
「突然泣き始めたので振り返ったら、口の中が血だらけに……。横にこれが落ちていたんです」はしをくわえて遊んでいるうち、転んだらしい。片方のはしの先が、約3cm欠けていた。
医師は鎮静剤で眠らせ、1mm刻みでコンピューター断層撮影(CT)をし、欠けたはしの先端をさがした。「あった!」。頭の最下部にある首の骨に当たっていた。翌朝、手術で取り出した。11日間入院したが、今ではすっかり元気になった。
「脳や脊髄に刺さったら、命にかかわるところでした。大きな血管が傷ついていなかったのも幸いでした」と、同センターの当麻美樹副所長は振り返る。同センターには昨年、同じような患者が4人来た。こうした「はし刺し事故」が後を絶たないことを、当麻さんは懸念する。
小学校低学年ぐらいまでの幼い子は、平衡感覚がまだ不十分で、頭も重いため不安定で転びやすい。はしをくわえたまま転び、のどの奥の軟らかいところにぐさりと刺さる恐れがある。はしに限らない。鉛筆、ボールペン、スプーン、歯ブラシ……。幼児の口に入る細長いものなら何でも「凶器」になる可能性がある。
東京都杉並区で99年、盆踊りに参加した保育園児(当時4)が、綿あめの割りばしがのどに刺さって、翌日に死亡する事故があった。診察した医師が業務上過失致死罪に問われ、現在、東京地裁で公判中だ。
重症小児救急患者を数多く診ている大阪市立総合医療センターでは、「はし刺し事故」の幼児は、02〜03年だけで7人にのぽった。同センターの鍛冶有登・救命救急センター長は「どの子も、けがの程度は一見軽かった。これが、くせ者です」と話す。
血圧などは正常で、たいていの場合、血もすぐ止まる。実際、大半は軽傷で済む。だが、軽く見えても、見極めは慎重にしなければならないという。
怖い後遺症/欠かせぬCT検査
傷口は数mmと小さいが、深いことが少なくない。脳に影響がないか、少なくとも1日は経過をみる必要がある。脳などに傷を負うと、後遺症にもつながりかねないからだ。はしなど木製品はエックス線写真に写らない。傷にかけらが残っていないか、より手間がかかるCT検査が欠かせない。かけらを見逃すと、感染が起きる。事故から1年半後、小脳に膿瘍ができた子もいるという。
こうした事故が起きたら、専門医に診てもらうことが大切だ。鍛冶さんによると、夜間、救命救急センターで全身麻酔とCT検査をし、経過観察のため1日入院した場合、医療費は約20万円かかるという。数万円の自己負担になる。
必ず転ぶと考えて
はし刺し事故を防ぐにはどうすればいいか。専門家の助言を下記の図にまとめた。
子どもの事故に詳しい緑園こどもクリニック(横浜市)の山中龍宏院長は「棒状キャンデーが刺さった子もいます。目を刺してしまうこともある。子どもは必ず転ぶと考え、はしやはさみなど、とがったものを持って歩かせないのが鉄則だ」と話す。
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「食卓の向こう側 第二部 『命』をつなぐために」より ■■■■■vol.231-2004/05/01
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西日本新聞連載 ー食卓の向こう側ーより
第二部
『命』をつなぐために
ご覧になった方も大勢いらっしゃるでしょう、一四回の連載が三月一七日から四月二日の間でありました。食生活に便利性と低価格を追い求めた結果、こんなに怖い状況になってしまっている。子育て真っ最中の皆様にはぜひとも知っておいていただきたいと思いましたので抜粋してご紹介します。詳しくご覧になりたい方は西日本新聞のホームページをご覧になるか、事務室にお申し出下されば原文を差し上げます。
【園長 大浦】
■ あるスーパーの特売用肉団子(ミートボール)の話 [3/17 第1話より]
普通のミンチは使えないから、牛の骨部分についている肉を削り取った端肉(はにく)をもとに、大豆たんぱく(人造肉)で増量し、欠ける風味は香料(フレーバー)で補う。
次に歯触りを滑らかにする加工でんぷんや油を加えるが、それと引き換えに失う粘りは結着剤でカバー。油をなじませる乳化剤、色あせを防ぐ酸化防止剤、さらに着色料、保存料、肉エキス、うま味調味料…。肉団子にからめるソースは氷酢酸やグルタミン酸ソーダなどで、ケチャップはトマトペーストや酸味料などでこしらえ、真空パックで加熱殺菌。二十種以上の添加物を使い、子どもが喜ぶ味(軟らかくて味が濃く、3口でのみ込める)で、常温保存が利く商品に仕上げる。
もちろん、まじめなメーカーもある。でも、あなたがコーヒーに入れた小カップのミルク。植物油に添加物を加えて白く乳化させたものかもしれません。
開発した肉団子を「おいしい」と食べるわが子の姿に衝撃を受けた。「おれんとこのは食べるなよ」そう忠告する取引先の食品加工工場長・・・・・
■ 福岡県内の養豚農家で起きた“事件”の話 [3/19 第3話より]
母豚のお産で死産が相次いだのだ。やっと生まれたと思ったら、奇形だったり、虚弱体質ですぐに死んだり。透明なはずの羊水はコーヒー色に濁っていた。「えさだ」。ピンときた農場主は、穀物など元のえさに変えた。徐々にお産は正常に戻ったが、25頭の母豚が被害に遭い、農場主は生まれるべき約250頭の子豚をフイにした。
母豚が食べたのは、賞味期限が切れた、あるコンビニの弁当やおにぎりなど。「廃棄して処理料を払うより、ただで豚のえさにした方が得」と考えた回収業者が持ち込んだ。期限切れとはいえ、腐っているわけではない。「ちょっとつまもうか」と、農場主が思ったほどの品だった。肥育用の子豚に与えれば、肉質にむらがでる。そこで母豚に、それだけを毎日3s与えた。農場主の計算では月20万円のえさ代が浮くはずだったが、114日(豚の妊娠期間)後、予期せぬ結果が待っていた。
原因はわからない。だが、予兆はあった。与え始めて間もなく、母豚がぶくぶく太ったのだ。すぐに量を減らした。豚の体の構造は人間に近い。「人間でいえば、三食すべてをコンビニ弁当にしたのと同じこと。それでは栄養バランスが崩れてしまう」と、福岡県栄養士会長。
一般的なコンビニ弁当は高脂質で、濃いめの味付け、少ない野菜。毎食これで済ませたら…。家庭にはない食品添加物も入っている。「腐る」という自然の摂理から逃れるには、何らかの形で人の手を加えなければならない。例えば、おにぎりを「夏場で製造後48時間もつ」ようにするには、添加物などの“テクニック”が要る。だが、そのおかげで、私たちはいつでもどこでも、おにぎりをほおばることができるのだが・・・・・
■ 健康は「出す」ことから? 「快便食」の話 [3/27 第9話より]
昨年6月、九州女子大学栄養学科の学生5人が実験をした。便の回数、色や形、重さについて、普段のパン食や外食などの10日間と、玄米とみそ汁、筑前煮など和食づくしの10日間とを比べた。結果、5人平均でみると、一日の排便回数は0.9回から1.9回に。形は「ポロポロ」が10%から4%に減り、黄色っぽい便が30%から90%に増えた。重さは、1日平均わずか90cしか出ていなかったのが、2.5倍の215cになった。
この変わりよう。「ポイントは食物繊維」と担当教授。かつて食物繊維は、栄養学者に「かす」とされたが、実は、腸を活性化する「善玉菌」を増やし、腸壁をくすぐって便通を促す「優れ物」。繊維は消化されないので便の量も増える。玄米など穀物の繊維、野菜や海藻に含まれる繊維をまんべんなく、たっぷり取れる和食は、理想の「快便食」という。
いい便とは、1日250c程度のバナナ状で水に浮く(繊維が多い)。色は黄色(善玉菌が多い)。肉や脂質を多く食べると、病原菌やがん細胞などが好む腸内環境になる。そのときの便は、黒色や茶褐色。まさに健康のバロメーターだ・・・・・
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「築山完成-どんぐり山と銘々」 ■■■■■vol.228-2004/02/01
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11月22日に着工した築山工事が無事完成しました。工事の期間中園庭が狭くなり、子ども達にはずいぶん我慢をしてもらいました。その分期待も大きく、今は楽しく遊んでくれています。
名前は何にしようかと子ども達と相談して「どんぐり山」と決定しました。いろんな遊びを発見してもらいたいと思っています。
【園長】
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「合奏への思い」 大浦まゆみ ■■■■■vol.226-2003/12/01
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今年もまた、昼下がりの保育室から鍵盤ハーモニカの音が流れてくるようになりました。この音が聞こえ出すと、冬が近いこと、青組さん達の保育園での生活も最終の段階に入ったんだな、ということを感じます。これから毎日少しずつ練習を積んで、1月末のたんぽぽ音楽会、2月の園内発表会において「青組の合奏」をお聞かせします。
私が合奏の編曲をするようになって、17年目を迎えました。苦労しながらこんなに長い間続けてこれたのは、毎年毎年の青組さんとスタッフとが努力を重ねた結果できあがった合奏が、必ず感動を呼び起こすものだったからだと思います。
つぼみの合奏は,子ども達の鍵盤ハーモニカが主体です。一つではあまり魅力的な音ではないけれど、ハーモニーを作ってやるとそれなりにきれいに響く楽器です。
私が合奏で大事だと思うことが三つあります。一つは、子ども達が演奏している楽器の音が聞こえること。一つは、子ども達が音楽を感じながら楽しく演奏していること。もう一つは、聴く人に音楽的な感動を呼び起こさせること。つまりは、いい音楽を、する、きく、というごく当たり前のことなのですが。
現在、私達の生活の中には音楽があふれています。町を歩けばどのお店からも音楽が流れ、家庭ではTVから。CD、MD、ゲーム機あり、携帯からは着メロ、カラオケボックスは大盛況、しかもほとんどが電気的な音。こういう生活の中で、人々は音に慣れきってしまって、何の感動も持たなくなってしまってはいないでしょうか。
本物の楽器の生の音、マイクを握らない生の声で歌う歌、それが心に響いてしみじみとああいいなと感じることが、失われつつあるような気がしてなりません。
だから、本物の音を大切にしたい・・・・・。そんな気持ちで合奏をしています。
鍵盤ハーモニカとアコーディオンで織りなすハーモニー、リズムを刻み彩りとなる打楽器、そして私の大好きなピアノがかけめぐり、一つにまとめあげる。もちろん、子ども達はごく簡単な指の動きしかできないので、ピアノやアコーディオンを担当するスタッフには苦労をかけますが、毎年すごい努力をしてくれ成果をあげています。
一つ難点は、全体のボリュームが小さいということ。この楽器編成ではサンパレスのホールは大きすぎて、少し貧弱に聞こえるかも知れないけど、保育園のホールならきっと心に響いてくることと思います。
選曲も重要です。昔はクラシックの楽曲などもしましたが、最近は、子ども達が心から楽しく感じながら演奏できるよう、身近な歌の曲をアレンジすることが多くなりました。たくさん歌ったり遊んだりしてから、合奏に取り組みます。日本人なら誰でも懐かしく感じるであろう童謡や歌曲なども大切に伝えていきたいと思います。
今年、青組さん達は「うみ」を合奏します。
【大浦まゆみ】
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「運動会アンケートの中から、つぼみの運動会の取り組みをお知らせします」
■■■■■vol.224-2003/11/01
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Q. 開会式をやめたのはなぜ
A. 2年前までは一般的に言われる「開会式」ではじまっていました。
その開会式を再考する必要があると考えたのには2つ理由がありました。
◆盛り沢山なところがあり全体的に時間がかかりすぎること。
◆開会式は子ども達にとって果たしてワクワク楽しいものだろうかということ。
開会式に使う時間は25分もかかり他の演目にまわしたい。開会式の練習のために削く時間は結構長く、
子ども達への負担を考えたとき果たしてどうだったのだろうか等々、十分に検討を重ねた結果、取りやめました。
昨年、今年とやってみて
◆練習時間全体を短縮することができ職員も子ども達もゆとりをもって運動会にのぞむことができました。
◆運動会当日も演目一つ一つに余裕があり2時に終了することができました。
◆年長組のダンスでオープニングという形ではじまった運動会でしたが、開会式がなくていつはじまったかわかり
にくかったというご意見がありました。来年はオープニングセレモニーをより充実させていきたいと思います。
Q. お遊戯や玉入れなどの集団競技がもっと見たい
A. お見せしたい演目はたくさんあるのですが子どもの状態や時間的なことからプログラムを組み立てます。
◆日頃の保育の中で培われた運動能力を一人ひとりが十分に自分の力を発揮できる運動あそびを中心にプロ
グラムを組み立てています。
◆親子で十分に楽しんでほしいと考え、親子あそびや親子競技を各年齢ごとに考えています。
◆沢山の方々に競技に参加して、楽しんでいただこうと思っています。
●運動会の保護者のお手伝いについて
毎年、沢山の保護者の方々にお手伝いをいただきありがたく思っています。前日、当日だけでなくおみやげ詰めやトラックの手配などいろいろな場面で子ども達の為にとご協力くださり、子ども達もそんなお父さん、お母さんの姿をみて喜んでいます。アンケートの中にも感謝の言葉が多数寄せられていました。
また、一方では皆さんが平等に半強制的な役割分担にしたらというご意見もありました。
つぼみ保育園には運動会に限らずいろいろな行事が1年間を通してあります。その中で、保護者の方のご都合や得意分野に応じて自発的に御助力願えればと思っております。今後ともよろしくお願いします。
(大久保)
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「千の風」 ■■■■■vol.223-2003/09/01
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盆前に墓を訪れ、いつもするように手を合わせ、亡父に家族の近況などを語りかけた。
近頃、下記の新聞記事で知ったこの詩に触れ目頭に熱いものを感じた。
「 千 の 風 」
私のお墓の前で涙を流さないでください
私はそこにはいません、
永久に眠ってなんかいません
ほら、いまはもう世界中に吹く千の風です
雪にきらめくダイヤモンドのように
世界中を照らす光の中にいます
実りの作物を照らすあの陽の光となり
秋にはやさしく降る雨となって
すべてのものを包んでいます
あなたが朝、窓を開ければ
風となってあなたの髪をさらさらとなびかせます
夜、あなたが眠るとき
星になってあなたをいつも見守っています
だからどうかお墓の前で泣かないでください
私はそこにはいません
私は死んでいないのです
新しく生まれたのですから
[作者不詳]
これからも墓には行く、しかし、父もこのように語りかけたかったのかもしれないと思うと、
近くに居たかも知れない父に、今度は「ごめんね」と言う積もりだ。
園 長
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「保育園」と「補助金」と「三位一体」 ■■■■■vol.222-2003/07/01
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■ 皆さんが毎月、福岡市に納めている保育料はそれぞれの家庭の収入によってその額が決められています。一方、保育園には年齢と人数に応じて保育所運営費が福岡市より支払われており、それで経営をしています。この保育所運営費は国より福岡市におろされる国の補助金です。
■ 最近、『三位一体(さんみいったい)の改革』という言葉が新聞やテレビをにぎわしています。日本の経済を改革しようと小泉首相が打ち出した政策です。三つのことを一度にやろうという意味合いで使った言葉ですが、その三つとは次のようなものです。
(1)補助金の改革
2006年度までに事務事業を徹底的に見直す。補助金は4兆円程度をメドに廃止・縮減。公共事業関係の補助金も改革する。
(2)地方交付税の改革
- 省略 -
(3)税源移譲を含む税源配分の見直し
補助金の性格などを考え、補助金削減額の8割程度を目安に税源を移譲する。義務的な事業については徹底的に効率化したうえで、所要の全額を移譲。
- 以下省略 -
■ さぁ、どうでしょう、廃止・縮減される補助金の内容は明らかにされていませんが、保育所運営費も例外ではありません。仮に廃止・縮減されることを免れ、保育サービスが義務的な事業と認められても、徹底的に効率化したうえで、所要の全額を移譲されるということになれば、委譲される市町村の考え方で“徹底的な効率化”を実施し保育の制度を変えても良くなるわけで、今まで国が最低基準という一線を金銭的に保障していた保育制度が変わる可能性が生まれます。
悪く考えると、例えば、「給食は園でつくらず安上がりの外部委託にしなさい」「人件費を切りつめ、職員をもっと減らしなさい」「部屋の面積は関係なくもっと園児を入れなさい」「園庭もいりません、駐車場にでもしなさい」さらに、「大きな公共事業を抱えて出費が多く、保育にまわす財源が不足していますので保育料を上げさせてもらいます。」というような事態が考えられます。
■ というわけで、5月27日、私たち民間保育園の園長たちが東京の日本武道館に8,000人集結して、今回の改悪に断固反対の決議をしました。この声が政府にとどいたのかどうか、今後の動向をしっかりと見極めていきたいと思います。
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「動物たちとの悲しい別れ」 ■■■■■vol.220-2003/05/01
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4月25日の誕生会のおり、子ども達に次のようなお話をしました。
「今日は悲しいことをお話ししますのでよく聞いてください。みんなが可愛がって、えさをあげたり、お掃除をしたりしてくれてるニワトリやカモや小鳥とお別れしなければなりません。どうしてかというと、このごろ動物が持っているばい菌が子ども達に移って病気になってしまうことがあるよっていわれています。園長先生はみんなが病気になってしまうのはいやです。ですから、とても悲しいことですが、みんなが可愛がっていた動物たちとお別れすることにしました。ニワトリやカモや小鳥たちは子ども達があまり行かない山奥に住んでいる人がもらってくれることになりました。明日、その人のところへ持って行くことになりました、今日みんなでさようならを言っておいてください。」
20年前に私が園長になって、今の飼育小屋を作りました。元来動物好きの私ですからいろんな動物を飼ってきました。自宅で殖やしたジュウシマツ、文鳥で小屋がいっぱいになったこともありました。病気や寒さで死なせてしまったこともありました。職員は連休の時も交代でえさをやりに来ていました。子ども達が見てる前で、カモが雛をかえしたこともあり、その時この紙面に”そっ啄同時(そったくどうじ)”
〈注〉 のことを書いたのを思い出します。
しかし、子ども達に話をした理由で飼育を断念することにしました。職員会議でも十分な討議をし、教育効果として多くのことが期待できるのは承知の上ではありますが、何かあってからでは遅いという結論に達しました。
「人畜共通感染症」については下記の記事に簡単な説明がありましたのでご覧いただき、今回の措置についてご理解をいただきたいと存じます。
動物に人間を癒やす効果があることから、ペットを飼う人も多いでしょう。かわいらしくて、つい人と同じように接して愛情を注ぎがちですが、忘れてはいけないことは、ペットも病気になり、中には人に感染する病気があるということです。
人にも動物にも感染する病気を「人畜共通感染症」と呼び、世界保健機関(WHO)が示している感染症のリストには約130種類もあります。その病原体にはウイルス、細菌、寄生虫などがあります。
輸入される牛、豚などの家畜は輸入時に検疫がありますが、同じ輸入でもペットは必ずしもすべてが検疫を受けているわけではありません。イヌ、ネコ、キツネなどは狂犬病予防法によって検疫の対象になっていますが、カメ、オウム、インコなどは法的な検疫の対象外です。また北海道にいるイヌやキツネにはエキノコックスといわれる条虫類がいる場合があり、人に経口感染します。臓器に寄生すると激痛などが生じます。
オウムやインコの排泄(はいせつ)物などから人に感染するオウム病は、発熱やせきなどインフルエンザに似た症状を示します。口移しでえさを与えてはいけません。鳥を飼う場合には、ふんや羽を吸い込まないように気をつけ、鳥かごを掃除するときは、風下に立たないよう心がけましょう。
ネコのふんも要注意です。ネコ科の動物にはトキソプラズマという原虫がいることがあり、ふんから感染することがあります。トキソプラズマは母子感染を起こすこともあるため、妊娠
中の女性は、特にペットとの接触に気をつけねばなりません。
このほか、イヌやネコの皮膚病も人にうつることがあります。カビが原因の皮膚糸状菌症は、刺激性の強い炎症を起こします。ミドリガメがサルモネラ菌をもっていて、食中毒の原因になることもあります。ペットを可愛がる気持ちは分かりますが、えさの口移し、一緒に寝ることは避け、触ったあとは必ず手を洗う習慣が、感染症から身を守る一番確実な方法です。
・・・・・・・・・(毎日新聞2002年4月4日東京朝刊から)
〈注〉 「そっ啄同時(そったくどうじ)」 ひこうきぐも
第132号 (平成7年5月)より抜粋
・・・・・・・・・園で飼っている鴨が、三月の末から卵を温めていました。折しも、誕生会の最中に、ヒナが生まれていますと大騒ぎ。下に降りてみますと、丁度、二羽目が生まれようとしている時でした。卵が、微かに動いたかなと思った瞬間、親鳥が間髪をいれずにつつくと、一瞬にして卵が割れてヒナがころがり出てきました。周りで見ていた、年少組の子ども達は、何やら不思議なものを見たかのようにポカンとしていましたが、私もきっと同じ表情をしていたのだろうと思います。
禅宗に「そっ啄同時」という教えがあります。「今まさに悟りを得ようとしている弟子と、
それを導く師家の教えが絶妙に呼応すること」とありますが、まさしくその語源がこの親鳥とヒナのやり取りそのものなのです。「そっ」はヒナが卵から、「出るぞ」と信号を送ること。「啄」はそれに呼応して、親鳥が「出てこい」と素早く、しかし優しくついばんでやること。どちらかが早くても、どちらかが遅くてもヒナは死んでしまう、一瞬のタイミングでなされなければならないということです。本能的に鳥たちが持っている、子育ての原点ではないでしょうか。・・・・・・
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「法人の合併について」 ■■■■■vol.218-2003/03/01
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つぼみ保育園は昭和40年4月に開園し、この3月で38年の歴史を刻んできたことになります。ところで、園の経営母体が「社会福祉法人
馥蕾会(フクライカイ)」だということをご存じの方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
この4月に、「つぼみ保育園」を経営する「社会福祉法人 馥蕾会」と、「さわらび保育園」を経営する「社会福祉法人
輔仁会(ホジンカイ)」と合併することにしました。合併後の法人名称は「輔仁会」とすることにしています。
両法人とも大浦仁子(つぼみ保育園初代園長)が設立者ということで、つぼみ保育園とさわらび保育園は姉妹園としての関係はあったのですが、法的には全く独立した関係でした。
昭和45年に東区八田に保育園を開業して欲しいとの福岡市の要請があった時、本来であれば、「馥蕾会」がこの新園も開設して経営してよかったのでしょうが、当時の福岡市は、何故か、保育園は「一法人一施設」でしか認可ができないという指導をしていましたので、新しく「輔仁会」を設立し、「さわらび保育園」を開園致しました。
その後、市の指導も緩和され「一法人多施設」の経営が許されるようになり、合併の認可申請をしていたところ、今年に入り1月31日にやっとその認可が下りました。今後は「社会福祉法人
輔仁会」としてつぼみ保育園とさわらび保育園の二か園を経営することとなり、両園は名実ともに姉妹園となるわけです。
この合併で保護者の皆様へ保育園を利用する上での影響は全くありません。法人の理事さんもそのままですし、保育方針が変わるわけでもありません。ただ、お渡しする文書等に「馥蕾会」と記していたのが「輔仁会」と変わるくらいのものです、このページの上にも馥蕾会の文字がありますが来月からはこれが輔仁会と変わります。
とはいうものの、園のスタッフに新たな気持ちが無いわけではありません。心機一転張り切って新年度に向かいたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
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「日本語の乱れ」 ■■■■■vol.215-2002/12/01
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第143号(96年5月)で「変な日本語、正しい日本語」、第159号(97年11月)で「半疑問形症候群」というテーマで言葉づかいのおかしさを書いたことがありました。その後も続々と気になる日本語に出くわし、その内書こうと思っていました。 今回はインターネットで見つけた「日本語の乱れ」を嘆く方々の意見をピックアップしてみました。私のことではないと思わず、ご自分の言葉使いをチェックしてみてはいかがでしょう。
■その1■
あの語尾を上げる言い方、特に名詞をそのまま語尾を上げる言い方。一言一言、相手に確認を求めるように疑問形にしてしまうあの言い方。何とかならないものでしょうかねぇ。いちいち疑問形で話されると、ついこちらもムカッときて「俺に聞くな」って怒鳴りたくなってしまう。
タモリが「半疑問形」と言ったそうだけど、近頃は学者もこのように言ってるらしい。間違った使い方がこのまま一つの「間違ったパターン」として定着することがないように、「半疑問形」なんていう用語自体もなくしておかないと、そのうちに「半疑問形」という疑問形が存在するといった誤りを犯してしまうことになると思う。特に小中学校の教師の中にも結構多いのが気になります。教育委員会は通達でも出して教育現場から一掃してもらいたいですね。
■その2■
「今日はスゴイ面白かった」「それはスゴイ難しい」
「スゴイ」「スゴイ」「スゴイ」・・・。「すごく」という使い方を知らないわけじゃあるまいし、どうかするとテレビのアナウンサーまでが平気で使っていたり、ご丁寧にテレビの字幕にまで「スゴイ」を連発してる。いい年したおじさん、おばさんまで近頃は「スゴイ」の連発。
■その3■
「全然大きい」「全然すばらしい」・・・
それこそ日本語の「全然」が全然分かっていない。「全然」という言葉はそのあとに「否定」の言葉がくるべきです。例えば「全然痛くない」「全然分からない」etc。ほんとに、まぁ、近頃の日本人は、今まで先達が築きあげてきた日本語の美しさや使い分け、言い回しを「全然」理解していない。多分このことを指摘されても「全然OK」と言うんでしょうね。
■その4■
この前うちの若い女子社員にあることを話している時、「で、どうするの?」と尋ねたら彼女曰く、「私的(わたしてき)には・・・と思うんですけど」。テレビでも最近頻繁に「・・・的・・」という表現が耳につく。確かに「・・・的」の構文はあると思うが、やたらと「的」を付けたがる最近の風潮はいかがなものかと思う。料理番組で「味的には・・・」、街角で「彼女的には似合っているんじゃないですか?」とか年齢、性別を問わず氾濫しているような気がする。いつ頃からこんな現象が始まったのかよく分からないけれど、「私的」には神経を逆撫でされてイライラするんです!
■その5■
もうひとつ気になるのは、「意味不明の言い回し」。例えば、なんでもかんでも「・・・のほう」とつけるという風潮。気にしだすとすごく気になってくる。
喫茶店に入ってから出るまでの例。「コーヒーのほう、ホットにしますか」(コーヒーしか頼んでねえんだよ。コーヒーじゃないほうって、あるのかよ。)
また、「・・・でよろしかったでしょうか」という言い方もしかり。いきなり過去形で訊かれるたびに、違和感を覚えてしまう。「コーヒーください」「コーヒーのほう、ホットでよろしかったでしょうか」・・・という具合。10分前に頼んだのを店員が忘れていて、「すみません。さっきのご注文、ホットでよろしかったでしょうか」と確認しに来ているわけではない。今頼んでいるのに、いきなり過去形で訊かれてしまうのだ。
「〜してください」というていねいな命令形の代わりに、「〜していただいてよろしかったでしょうか」なんてのもある。「ハイオク満タン。オートストップ位置までね」「はい。お客様、給油口空けていただいてよろしかったでしょうか」・・・もう無茶苦茶です。
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「北朝鮮から帰国した五人の人たちのこと」 ■■■■■vol.214-2002/11/01
連日、北朝鮮から帰国している5人の方々のことが新聞やテレビで報じられています。日本に帰ってからそれぞれの故郷で熱烈な歓迎を受け、家族にも暖かく迎え入れられ、失われた20数年の絆を徐々に取り戻しつつある様子がよく判ります。最初の頃は硬い表情をしていた5人にも、落ち着いた笑顔が見られるようになってきました。しかし、北朝鮮にいる家族のことに質問が及ぶとさすがに辛い表情を浮かべ、彼らの置かれた苦しい立場に心から同情を覚えます。
最初の予定を変更し、政府は彼らを北朝鮮に帰さないことにし、残っている家族を日本に呼び寄せる交渉を始めました。これに対し北朝鮮は約束違反だとし第1回目の交渉は決裂し、今後の行く末が憂慮されます。
四半世紀の間、彼らがどんな境遇に置かれていたのか詳しくは判りません、しかし、精神的にも物質的にも過酷な生活を強いられてきたことは紛れもない事実です。長い年月、必死に生きようと異国で苦労を重ね、自分の意志とはかけ離れたことにも従わざるを得ないことの連続であったはずです。私には、いつもバッジ(*)を胸に付けている彼らを見ていると、逆に「実はこんなもの付けたくないのだよ。」というメッセージが強く伝わってきます。
北朝鮮にいる家族が日本に来ることが一番の幸せなんだと思いますが、今後の国交交渉の過程でどうなるのか、全く余談を許しません。また、北朝鮮人として育ってきた子ども達は、思春期を迎えそれぞれに人生についての考えた方も自分なりに持ち合わせているかも知れませんし、思想教育を受けてきた彼らが親が日本人であったことを知ってどんな考えを持つのか、と思うと家族そろって日本に永住することへの壁は高く思えます。拉致という理不尽な行為の末、親と子が引き離されかねないこの不幸はとても悲しいことです。
もちろん、亡くなったとされる拉致被害者と家族の方々の不幸は計り知れないものです。これらの多くの悲しみは、北朝鮮の一握りの人間の独裁によるものだと思います。自分たちの非業を一刻も早く悔い改めてくれたら、全面解決の道は開かれると思うのですが、それは望むべくもありません。政府は最善の努力を払って家族を呼び寄せることを5人にもそのご家族にも約束しているそうです。北朝鮮との交渉は、かつて日本が朝鮮半島で行った戦略行為が背景にあって大変に複雑で困難を極めることなんでしょう。しかし、それらを乗り越えてかつ、小泉総理には、仮にご自身の家族が同様の境遇にあるとした時には果たしてどうかとお考え頂きながら、交渉の指揮を執って頂きたいと思うものです。
北朝鮮では地方で毎日ように飢餓で亡くなっている人がいる一方、外国からの支援の食料が政府の倉庫に山積みにされ、政府組織の人間は豊かな生活が保障されているとも聞きます。人道支援の在り方も含めて勇気ある賢者の国交交渉を進めてもらいたいと心から願います。
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「運動会も基礎構造改革!!」 開会式の取り止め / 自家用車の駐車禁止 ■■■■■vol.213-2002/10/01
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秋晴れのさわやかな空の下、運動会を無事終えることができました。大勢の保護者の方々にご協力いただき、準備から進行までスムーズに流れましたことを心から御礼申し上げます、本当に有り難うございました。参加された皆様は、どのようにお感じになりましたでしょうか、今年のプログラムの少々変わったところをお気づきでしたか。アンケートを行っていますのでご意見を是非お聞かせ下さい。
● 開園以来、運動会の始まりは開会式が定番でした。子ども達の入場行進に始まり体操、子ども達のお約束、園長挨拶、優勝杯返還、園旗掲揚等々、約25分ほどかけて行っていました。その開会式を今年は行いませんでした。開会式の入場行進は絶好のシャッターチャンスでもあり、優勝杯返還や園旗の掲揚も厳粛な空気が流れ、私も下手なりに開会のご挨拶を述べたりと開幕にふさわしい演出でもあったわけです。一方で、そのための練習もかなりの時間を必要としました。その開会式を取り止めたのは何故か
? !!
つぼみの運動会は他園に比べると盛り沢山なとこがあり、時間的に長いというご意見があっていました。そこで、今年は演目を考え時間の短縮を検討したのですが、あれもこれも、子ども達にやらせてあげたい、どれも保護者の方々にご覧いただきたいと、なかなか縮まりそうな妙案が浮かびませんでした。そんな時、開会式を削ったらとの発案がありました。
当然しなければならないものとして開会式を考えていた会議の参加者にとっては面食らう発案だったのですが、話し合う内に、ただ単に時間の短縮だけではなく、「幼い子ども達にとって開会式は果たしてワクワクとして楽しい時間だったのか」、「開会式の練習のために削く時間は結構長く、子ども達への負担を考えたとき果たしてどうだったのか」等々の意見も出、十分に検討を重ねた結果、思い切って取り止めることにいたしました。
開会式を取り止めたことで、開会式の練習に充てていた時間を他の練習に使えたり、練習時間全体を短縮することができ、職員も子ども達もゆとりをもって運動会に取り組めているなと感じました。本番でも、短縮できた25分の時間が演目一つ一つに余裕を与えてくれました。私たちは開会式を取り止めたことは成功だったと思っています。皆さんは果たしてどのようにお感じなったのでしょうか。
● また、昨年のこと(お手紙でお知らせした通りです)もあり、車でのご来場を禁止させていただきました。ご不便をおかけした方も大勢いらっしゃったことと存じますが、皆様のご理解とご協力でスムーズな進行ができましたことを心から御礼申し上げます。
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「娘の心」■■■■■vol.212-2002/09/01
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今年、小学校に入学する娘は、予定より二ヶ月近い早産で未熟児だった。そのためか発育も遅れぎみで、はじめはもの珍しさも手伝って喜んで通っていた幼稚園も、六月の梅雨のころになると、ひどくいやがりだし、困らせた。あの手この手のくどき作戦にも娘の心は動かず「もう知らない」と、何度くじけそうになったことだろう。
ところが、そんなある日のこと、やっぱり雨の日だった。どうしてもいやがって行こうとしない娘の手を引きずるようにして幼稚園までどうにか連れて行ったが、私が帰ろうとすると泣きさけび、後を追ってきた。その時の私の気持ちをどう説明できるだろう。ただ涙が出て仕方がなかった。哀願するような娘の涙顔を見て、私も娘と一緒にワァワァ泣いてしまった。
どれほど泣いただろう。気がつくと娘は泣きじゃくる母を背にして、どんどん幼稚園の方へ向かって歩いているではないか。そんなことがあってから、もう二年。その後は一度も幼稚園をいやがって困らせることはなかった。先生方のおかげで、未熟児だったことなど想像もできないほど成長してくれた。
(毎日新聞への読者寄稿/昭和49年)
ある私的な道徳教育の研究会に出席したとき、講師が上記の記事を取り上げられました。
皆さんは読んで何をお感じになるのでしょうか。
講師のお話と、それを聴きながら自分なりに感じた気持ちが織り交ざっていますが、私は以下のようなことを思い巡らせました。
万策つき果てた母親の涙は、悲しみとか悔しさとかそんなはっきりとした心の動きから出たものではない。心の虚しさにただただ涙が出て仕方なかったのだ。そして娘の哀願するような涙顔にその説明できない気持ちは増幅され誰はばかることなく大声で泣いてしまった。そして、娘の行動もまた説明できるものではない。彼女は3歳、母が困っているからとか、周囲の目が恥ずかしいからとか考え、その場を収拾しようなぞと考えるはずもない。困り果て、自分を見失った母親、彼女の体温の微妙な変化とか、体内に走る電流のようなものが娘を突き動かし園舎に踵を返させたのだ。
その後、娘が急に聞き分けのいい子になった訳でもなく、それまで通りのやんちゃな3歳の女の子だったことはいうまでもないことだろう。ただ、変化といえば彼女が幼稚園に行くことに対し抵抗が無くなったということに過ぎない。
私が印象深く感じたのは、娘が感じた母親の「何か」、説明の付かない「何か」が、彼女を「幼稚園へ行く」という行動に駆りたてたこと、このことがいわゆる人間であることの証なのだろうということだ。「人を思いやる心の根っこ」がこの3歳の女の子を無意識に突き動かしたのだと思う。3歳の子どもに人としての尊厳を見たような気がした。親も保育者も、何も判らぬ子どもと高を括ってはいけない。子ども達は皆、この「心の根っこ」を潜在的に持っているのであって、大人の行動を見つめ、優しさに満ちた子育て(保育)を受けながら、子ども達は「思いやり」の心を自ら獲得していくのだ。
親も保育者も、子ども達に常に見つめられていることを意識しておかなければならない。なぜなら、子ども達は身近な大人を見ながら、その行動、考え方等を手本として成長していくからだ。不道徳な行い、ふしだらな生活、理不尽な暴力、親の不仲、笑顔のない会話、このような環境が子ども達にとって幸せなわけはない。「いい子にならんね」などという言葉で叱り続けるだけで、子どもがいい子になるわけはない。子ども達の持つ「人を思いやる心の根っこ」を豊かに育てるための一番の肥やしは私たち周囲の大人の人間性なのだ。子育て(保育)の最も大切な要素だと信じる。
この話を投稿した母親がどのような子育てをしたのかは知るよしもないが、きっと優しさに満ちた家庭環境があったことだろうと思う。
【 園 長 】
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「いじめ」と「意地悪」■■■■■vol.211-2002/07/01
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最近、園内でこんなことがありました。三人の園児が留学生のお母さんと子どもが登園してきたとき、後ろを付いてまわって「ABC、ABC、ABC」とはやし立てたそうです。そのお母さんは大変悲しまれました。他国での心細い子育てを保育園で若干でも救われようとしているのに、このように被差別の仕打ちを受けたショックは計り知れません。「子どものしたことじゃないか」と片付けてしまえないことと思いましたので書くことにしました。
老婆心ながら、このように書き出すと「誰?」と詮索したくなるだろうと思いますが、ここでは「誰が」「誰に」なんてことを問題にしているわけではありません、三人には大変申し訳ないのですが、もしかしたら今すぐ、誰にでも身近に起こるかも知れないことですし、ここは一つ保護者の皆様方と共に考えてみたいと思いましたので敢えて取り上げることにします。どうかゲナゲナ話のネタにはしないで下さい、くれぐれもお願いします。
三人には、人が嫌がることをわざと言って喜ぶことがどんなに悪いことなのか、自分たちとの違いを面白がることがどんなに醜いことなのか、を言って聞かせました。その日の夕方お迎えの時、三人の子ども達は留学生のお母さんと子どもに「ご免なさい」を言いました。その時お母さんが三人に「大人になって困るよ」とおっしゃいました。この一言、まさにその通りだと思います。
「いじめ」に対してその善し悪しを子ども達に上手く教えることはとっても難しいことです。京都大学心理学者の鯨岡峻先生の著作によると、『昨今の学童や青少年の「いじめ(相手を泣かせたり、困らせたりすることを喜ぶような行為)」を盾に、幼児期の保育において厳しい規範を張り巡らし、誰が誰をいじめているかに監視の目を光らせるべきだとするような昨今の風潮に疑問を呈したい。と同時に、幼児期の「意地悪」という現象が人間の本性に根差した根深いものだという認識をもつ必要があると考えます。
幼児期にこのような「意地悪」が現れるのは、どの子どもも自己充実欲求につき動かされているからです。そして、その欲求を満たすためには、それを自分より力の強い相手にぶつけるより、自分より力の弱い相手にぶつけるというのが自然ななりゆきなのでしょう。このような単純な二者の力関係に発する「意地悪」は、1歳半頃にたいていは取ったり取られたりという互角の力関係のなかで現れてくるものです。
そして、一人の子どもが意地悪する側と意地悪される側の両方を経験することが、「意地悪する」こと、ひいては人を「いじめる」ことがどういうことなのかに気づき、自分のいやなことは人にしないという気持を育てるために大切なのではないかと思われてきます。』とあり、言いかえれば「保育の現場でそして家庭で、幼児が物を取り合ったり、意地悪なことをしたりする事は発達の過程である程度仕方ないことである。
そのことで相手の心の痛みを学習しながら、人としての優しさを獲得しているのだ。子ども達の喧嘩や意地悪にはある種の鷹揚さをもって観ていく必要がある。物の取り合いや喧嘩を罰をちらつかせながら全面禁止をするのが『しつけ』であるという考えは子ども達の心の健全な発達を阻害する恐れがある。」ということだと思います。
ところが、今回の一件は自己充実欲求に突き動かされた行為というようなものではなく、明らかに「差別の芽」が感じられるものでした。このような意識が障害を背負ったお友達に向けられたとしたらどうでしょう、幼児の「意地悪」では済まされません。
鯨岡先生は続けて『もっとも、このような言い方をすると、一部の人から「いじめ」を礼賛しているのではないかと誤解されかねません。もちろんそうではなく、幼児期の意地悪であってもその場に居合わせた大人は、相手の子どもが嫌がっていること、意地悪している子どもも他の子どもから意地悪されたら嫌だと思うだろうこと、それに何よりも大人として意地悪は嫌だと思っていることを、強く制止したり諌めたりする前に意地悪する子どもに伝える必要があります。』と、いじめられた相手の悲しみや、痛みを自分のこととして感じとらせることが大切であると述べておられます。
私たちは保育の現場で毎日繰り返される「喧嘩や意地悪」、そして今回のような「いじめ・差別の芽」に対して適切な対処能力を、もっと磨かなければと感じました。先の、お母さんがおっしゃった「大人になって困るよ」の言葉を真撃に受け止め、つぼみ保育園の全ての子ども達が人のことを気遣うことのできる心の優しさを持つ子に育つよう、皆さんの子育てのお手伝いができればと思います。
【園長】
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三度目のインド■■■■■vol.210-2002/06/01-1
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5月1日から8日までインドに行って来ました。南インドのチェンナイ市郊外に念願の保育園が完成、落成式に出席してきました。子ども達の嬉しそうな顔に今までの苦労が報われたことを確信しました。
■ 5年前、1997年5月にインドを旅しました。旅のキーワードはカースト制とアウトカースト。今も厳然たる身分差別の残る社会で、カーストの最下層にも属せない人々(アウトカースト・不可触民)がどのような生活を営み、差別の撤廃に向けてどのような運動を試みているのかを肌で感じようと、ダリットの集落・保育園・学校等を尋ねる旅でした。
最初に訪れた集落は、電気も水道もなく地面に粗末な壁と屋根だけの家に住み安い賃金でその日暮らし、野良牛と犬と豚と鶏、そして人間とが混沌として生きてる。それらの糞尿と汚水の臭いは想像をはるかに凌ぐ状態でした。一歩足を踏み入れたところで驚きのあまり次の一歩が出ない、それでも、案内の方に促されて寄ってくる子ども達にもみくちゃにされながら集落の中を見せてもらいました・・・・・・・。
翌日は別の村の保育園の見学。前日のこともあり何があっても驚くまいと心して訪れました。こちらへどうぞと招き入れられたのは塀沿いに竹を組みブリキの浪板をかぶせただけの小屋。中にはひしめき合うように約70人くらいの子ども達が地面に座っており、手には小さな黒板を持ち、突然の来訪者に驚いた様子で大きな黒い目をきらきら輝かせていました。
おみやげに持ってきた鉛筆や消しゴムを宝物のように受け取ってくれはしたが紙が自由に手に入らない彼らには何の意味があったのか、使い古しのチョ−クが一番のプレゼントだったかもしれないと思いました・・・・・・・。
私を含め一行は帰りの車中、言葉を失ったように黙りこみ、それぞれの思いに耽っていました・・・・・・・。(ひこうきぐも155号/156号より抜粋)
■ この旅行を機に、帰国後、共に旅をした者達が集まり、何かインドの子ども達にしてあげたいと「インドに保育園を作る会」を結成し、保育関係者を中心に多くの人々の協力を得て、約300万円の浄財を集めることができました。
2000年5月に2度目の訪印。解放運動組織の人々に我々の気持ちを伝え、具体的な計画策定へと動き出しました。そして、遂に今年の4月保育施設(左の写真)が完成しました。この間、組織の代表者のヘンリー氏と幾度もメールでやり取りをしながら大切なことを決めていきました。時には意見の相違などもあり、収拾するのに苦労したこともありましたが、今となってはいい思い出です。
盛大な落成式が準備されており、政府の要人も参列し感謝の気持ちが十二分に伝わりました。今後、この施設がどう使われているか年に一度は報告をくれることを約束してインドを後にしました。

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子ども達の歯について■■■■■vol.210-2002/06/01-2
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歯ならびの悪い子どもや咬めない子どもが増えているとか、相変わらず日本の子どものムシ歯は先進国の中で最悪であるとか・・・このような話をよく耳にします。
子どもの体がおかしいと言われだしてから、ずいぶん年月がたちました。肥満・骨折・アレルギ−そして発育は良いのにがんばる体力がない子どもなどなど・・・・歯の問題もこうした子どもの体の変調が口の中まで現れてきたことを示す何よりの証拠なのです。
ところで、子どもの体がこんなにおかしくなってきたのはなぜでしょうか?それは、子どもの心身をつくるための最も基礎的な行為である「食事」に問題があるからだと思います。
子どものご機嫌をとって、好きなもの、食べやすいものだけを与える食事・・・・家庭のしつけができていなくて社会に適応できる人間が育つわけがないのと同じようによく咬んで食べる習慣づけを忘れたり、ファ−ストフ−ド・インスタント食品・レトルト食品・スナック菓子などを与えておくだけでは、健康な子どもに育つわけがないのです。
最近のソフト嗜好にともなって咬むことが少なくなり、それが原因でアゴの発達が悪くなって歯ならびや咬み合わせが悪くなる子どもが目立ってきています。また、糖分のとりすぎや栄養のアンバランスからムシ歯・
口内炎・舌炎・歯周病・口臭なども多くなってきています。これらは決して歯や口だけの病気に止まらず全身的な健康や精神面にまで悪影響を及ぼしかねません。
口は、「健康の窓」と言われるのもこうした状況を見事に表している名言というべきでしょう。
子どもの口の中の病気の予防や治療には、親の理解と協力が必要です。「健康の窓」をいつもすっきりさわやかにしてわが子の心と体の健康を守り育てるために、がんばって下さい。
園医 真田歯科医院
真田龍昌先生
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エルトゥールル号の遭難■■■■■vol.207-2002/03/01
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今年度もいよいよ余すとこ一ヶ月、先日の発表会ではお子さんの成長ぶりを目の当たりにされたことでしょう。青組さんは卒園をひかえ記念制作・文集・卒園式などの取り組みに精力的な活動をしています。それを垣間見ながら、彼らも卒園かと思うと、ひとしお寂しさがつのります。
さて、今年度最終号にふさわしいとてもいい話をご紹介します。国と国との外交の原点ってこんなことだろうと思ったり、学校での歴史教育に素材として使ってもらったらいいのになぁ、などと思いを馳せました。
和歌山県の南端に大島という島がある。その東には灯台がある。明治3年(1870年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。ビュワーンビュワーン、猛烈な風が灯台を打つ。ドドドーンドドドーン、波が激しく断崖を打つ。
台風がその大島を襲った。明治23年9月16日の夜であった。午後9時ごろ、ドドカーンと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。全長76メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。バリバリ、バリバリバリ。船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打ち上げられた。
「息子よ、起きなさい」懐かしい母が耳元で囁いているようだった。「お母さん」という自分の声で意識がもどった。真っ暗な中で、灯台の光が見えた。「あそこに行けば、人がいるに違いない」そう思うと、急に力が湧いてきた。40メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。言葉が通じなかった。それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。
この当時、樫野には50軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけたくなる光景であった。村の男たちは泣いた。遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。「一人でも多く救ってあげたい」しかし、大多数は動かなかった。一人の男が叫ぶ。「息があるぞ!」だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で彼らを温めはじめた。村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。船に乗っていた人は600人余り。そして、助かった人は69名。この船の名はエルトゥールル号である。
助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。「もう食べさせてあげるものがない」「どうしよう!」一人の婦人が言う。「にわとりが残っている」「でも、これを食べてしまったら・・・・・」「お天とうさまが、守ってくださるよ」
女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。
このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。
次のような後日談がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、2機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
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「さらば3.14」って、本当!? ■■■■■ 小学校にも電卓持参の時代が?
vol.206-2002/02/01
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ちょっと判りにくいテーマで申し訳ありません、「3.14」は円周率(π)のことです。これは「小泉内閣メールマガジン
第31号 2002/01/24」の中で遠山敦子文部科学大臣が『大臣のほんねとーく』として掲載した文章のテーマです。その中身は今年の4月から実施される新学習指導要領への批判
(大臣は「誤解」と書いていますが) に答えた内容になっています。今から小学校に進む子を持つ保護者の皆様にとってとても気になっていらっしゃることでしょう。
私は中学の時、友人と競い合ってこの円周率を「3.14159265358979323846264338・・・・」などと覚えたものです、今でもここまでならスラスラ出てきます。πオタク(ケッシテ「オッ」ヲツケナイコト)
だったんですね。 だからってことではありませんが、円周率は「3」として取り扱うことになるらしいと聞いた時から、とても気になっていました。
大臣は次のように述べています、
皆さんのまわりにも、たとえば「新しい学習指導要領では円周率を『3.14』ではなく『3』としか教えなくなる」とか、「学校で教える漢字の数が減る」と誤解しておられる方がいらっしゃるのではないでしょうか。でも、そんなことはありません。
‥‥‥(略)‥‥‥
たとえば、小学校で学ぶ円周率については、『3.14』と教えるだけではなく、それが本当は『3.14・・・』とどこまでも続く数であって、『3.14』も概数にすぎないことを、今までと変わらずきちんと教えます。円周率については、従来から「目的に応じて『3』を用いる」こともできるとしていますが、これは、おおよその長さが知りたい場合には『3』を用いて計算するなど、状況に応じて自分の判断で使い分けられるようになってもらいたいからです。
‥‥‥(略)‥‥‥
文部科学大臣 遠山敦子
こう読んで、一瞬「あァ、なるほどねェ」と思ったのですが、例によって「うーん、ちょっと待て」と私の悪癖"逆なで性"が頭をもたげ、この「円周率問題」についていろいろ調べてみました。すると、出るわ出るわ、実に多くの意見がインターネットを賑わしていました。それらの意見を散見してみると、
● 円周率は「3.14・・・」と教えるが、計算は「3」でさせる。これは大臣のいう「状況に応じて自分の判断で使い分けられるようになってもらいたいからです。
」ということではなく、実は、新指導要領で「小数のかけ算とわり算では小数点以下1桁までの小数を取り扱う」と決めてしまったから、結果的に「3.14」という小数点以下2桁の数字をかけ算には使えなくなったのだ。
● 小学校の算数から、3桁×3桁の掛算や、4桁どうしの足し算や引き算がなくなる。これでは、子ども達が5000円札で1000円以上の買い物をしてもおつりの計算ができないことになる。
● 来年度の教科書の中に、 2005-1575、 256×128、 925÷301、3.14×5 など新指導要領には沿わない練習問題が載っているが、驚いたことにこれらの問題には「電卓を用いること」というただし書きが付くことになっている。
● 2桁×2桁と3桁×1桁の筆算を習うだけでは何桁であっても同様のパターンで計算可能な整数の掛け算の普遍的な仕組みを理解することは不可能だ。一般に3桁どうしの掛け算がマスターできればどんな桁数の数の掛け算でもできるようになることが経験上わかっている。
このような意見が目に付きました、これでは今回の指導要領の変更で子ども達の計算力の低下は避けられないような気がしてきました。電卓が学用品として必需品となる時代が来そうですね。
さらに、大臣は同じ文章内で 「一人ひとりの理解の速度に応じてきめ細かい指導ができるよう、全員に一律に教える内容は一定程度精選し、十分に理解できていない子には時間をかけてしっかり教え、理解の速い子にはどんどんその力に合った内容を教えられるようにする。」
とも書いています。
個々の能力に応じた手厚い教育がしてもらえることは大変結構なことですが、果たしてどうなのか。そのために先生方の配置をどのように考えているのでしょうね、よほどの増員をしなければ言葉通りの教育は実現できないと思えます。施策が中途半端だと、落ちこぼれの子が増えたり、逆に学外での教育に頼らなければならなくなってしまい、今以上に塾通いが増えてしまうのではないかと心配をしたりしています。
21世紀を動かしていく子ども達の教育です、最善の改革を望んでいます。
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早期教育という脅迫状
vol.204-2001/12/01
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最近は、子育て真っ最中のご家庭に、郵便物や電話で早期教育の宣伝や勧誘が洪水のように押し寄せるという。皆様のお宅はどうでしょう。また、子育ての情報誌やテレビ番組などで保育園や幼稚園が早期教育を取り入れていますとPRしているのをよく目にします。
「大脳生理学に基づいた教育法」「三つ子の魂百まで」「三歳では遅すぎる」「取り返しのつかないことに」などの言葉が並ぶと、誰しも心動かされる。これを
『早期教育という脅迫状』 とさえいう人もいる。
情報として、早期教育を勧めるものが溢れているのに、それを否定する情報があまりにも少ない。私は全てを否定するわけではありませんが、中には明らかにいかがわしいものもあります。今回は、反対意見を二三ご紹介いたしますので、ご覧になって取捨選択の参考にして下さい。
勿論、当園はこれらの意見に賛成の立場をとっています
■ 早くから文字を
インプットされた子はパターン行動をとる
家庭教育研究所 1993年紀要より
早期に文字を獲得した子、中でも『パターン認知型』(子どもが自発的に興味を示す以前に、絵本や積木、絵カード、カルタなどの文字環境に子どもを置いて、繰り返しインプットすることによって、子どもに文字を覚えさせてしまう方法)の子ども達は、自発的に外界に反応し、自己の体と言葉でコミュニケーションしていこうとする態度が希薄で、それが心身の構えになりやすい育ち方をしてると言えそうです。その結果、他者との関係が一方通行的で、受動的に見えるのです。興味の範囲が限定され、子ども自身の活動場面や状況に無関係にパターンの繰り返し行動が出現しやすい。自由遊びでは、受け身で行動することが多い、情報の流れが一方的で相互的なコミュニケーションが少ない。
■ 早期教育のシャワーを
浴びた子の将来は、もうわかっている
心理カウンセラー 三沢直子氏談
早期教育をやると、生命力のない無気力な子が育ってしまう可能性があります。いま、小学校から詰め込みされて育ってきた人の中にさえ、ロボットのような、人間的な活力に乏しい人が増えてきています。脳のもっとも根幹部に『生命の座』があり、次に『本能の座』があり、さらに、ごく表層に『知性の座』があります。人間の子どもは、まず生命力を育て、そして、本能を鍛え
てから知性に行けばいいのに、いきなり知性ばかりが大量の刺激を受けて肥大していくと、本能や生命の部分が抑制されて脆弱になってしまいます。
生命や本能の座というのは『快・不快』が中心の感情体なんですね。そこが、全然育っていないから情感に乏しい人となってしまう。今の早期教育の子どもたちを見ていると、生命体が育っていかないなーって、感じがする。生きる楽しさを知らないで、ただひたすら走っていくわけだから。ひとつの基準の上を走っているうちはいいかもしれないけど、いつも優位を保てるとは限らない。ひとつしか基準がなくて、一度失敗すると、もう全部否定的になりますよね。たくさん基準を持っている人は、ひとつくらいダメになっても、ほかの基準でいけばいいから大丈夫なんですが。これからは、プツンと糸が切れたようになってしまう、「燃え尽き症候群」の子が出てくるんじゃないかと心配しています。
■ 3才までに身につけた
状況的知能は不安定で忘れるのも早い
東大教育学部助教授 汐見稔幸氏対談
人間の知能には、状況的知能と反省的知能があるんですよ。状況的知能というのは、その場の状況に応じて直観的に反応する知能ですが、3歳までの子どもはこちらの方だけで反応する。状況が複雑であれば、大人からみて、『高度なこと』ができるように見えるんですが、状況に反応しているだけだから、その状況がなくなれば、反応のほうも怪しく
なってしまう。
本当の知能というのは反省的な知能のほうなんです。これは変化する状況に合わせて、自分の反応を意識的にコントロールする能力で、状況的知能を活性化させたパタ−ン学習では、身につかないものなのです。これは経験を積み重ねないと育たない。
それよりも心配なのは、2才、3才で文字だ数だと始めると、まだそれをはっきり拒否できる自我が育っていないわけですから、親が与えるものを拒否できない、受身性というか、依存性というか、そういうものがどうしても強くなってしまうということです。大きくなって自分が出せなくなり、自主性が疎外されてしまう恐れがあります。それに幼いころから自分の本当の気持ちを抑制して学習し続けると、じぶんの本当の感情を出すことが苦手になってしまう可能性もあります。いずれにしても人間形成上の心配がかなりある。
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もしも世界の人口が100人だったら・・・・・・・・
vol.203-2001/11/01
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インターネットで見つけた文章をご紹介いたします。
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
その村には・・・
57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。
52人が女性で、48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人。
70人がキリスト教徒以外の人たちで、30人がキリスト教徒。89人が異性愛者で、11人が同性愛者。
6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍。
80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。
50人は栄養失調で苦しみ、ひとりが瀕死の状態にあり、ひとりは今、生まれようとしています。
1人(そう、たった1人)は大学の教育を受け、1人だけがコンピューターを所有しています 。
もしこのように縮小された全体図から私たちの世界をみるなら、
相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること、
そしてそういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。
次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
■もしあなたが今朝、病気というよりは健康だなと思って目覚めたなら・・・あなたは今週生き残ることの
できないだろう100万人の人たちより恵まれています。
■もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの悲痛を一度も経験したこと
がないのなら・・・世界の5億人の人たちより恵まれています。
■もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに
あずかることができるなら・・・世界の30億の人たちより恵まれています。
■もし冷蔵庫には食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるならば・・・
あなたはこの世界の75パーセントの人々よりお金持ち。
■もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるならば・・・
あなたはこの世界の中で最も裕福なものの上位8パーセントのうちの一人。
■もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なこと。
もしこのメッセージをよむことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。
あなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、そのうえ、
あなたは全く文字の読めない 世界中の20億の人々よりもずっと恵まれているのですから。
昔の人がこういいました。わが身から出るものはいずれわが身に戻り来る、と。
お金に執着することなくよろこんで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとくに自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとくのびやかにうたいましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように生きましょう
豊か過ぎる日本、飽食の日本に生きてる我々は、無駄に無駄を重ね、そのことに麻痺してしまっているのではないでしょうか。
地球上の仲間がどんなに苦しみ、困っているかを知る上でとっても示唆に富んだ文章です。
子ども達にこのことを伝える必要があるのは当然ですが、その前に私たち大人が姿勢を正さなければいけないのでしょうね。
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運動会、風にも負けず!! vol.202-2001/10/01
■ 運動会が無事に終わりました。子ども達に大きな拍手をいただきましてありがとうございました。毎年のことながら、楽しそうに、時には真剣な眼差しで頑張る子ども達には感動させられます。
■ また、保護者の皆さまにも、大勢競技に参加していただけましたし、準備から後片づけまで有志の方々にご協力をいただきました。特に役員の皆さまにはおみやげ集めから袋詰め、当日のバザーまで大変だったと思います、心からお礼申し上げます。
■ 今年は本格的につぼみ太鼓に笛が加わりました。
山下さん(九州交響楽団のフルート奏者)と牧さん(フツウノヒト)が担当し、音楽性豊かな演奏になりました。お二人とも今年で卒園ですので来年に向けて今から準備をしなければなりません、皆さんの中でやってみようと思われる方がいれば手を挙げてみてください。
■ 一つ残念だったのが、車の駐車の件です。
歩行用のレンガの上、他の車両が出られない所、正門前の道路上、そして歩道の真ん中にと大変でした。近所の方が注意にこられ、なんべんも頭を下げ、その都度現場を見に行きました。
勿論、園の管理体制が不十分だったことを真っ先に反省いたしております。車でご来場の皆さんにもっと徹底すべきだったと思っています。良識にお任せしていたのが結果的に混乱を招いてしまいました。
来年はこのようなことのないように何らかの対策を講じなければならないと考えています。例えば、『搬入関係車両や来賓などには駐車許可証を発行し、持たない方は近隣の有料駐車場を利用して頂く』というような方法を考えさせて頂くことにしたいと思っています。
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再出発 vol.201-2001/09/01
昭和58年5月に創刊をして、足かけ18年、前々月でついに200号に達しました。継続は力なりと申しますが、文才に乏しい私を始め担当の職員が忙しい中、何とか面白く子育てのお役に立てる内容をと頑張ってきました。
今回より、装いも新たにA4版で再出発をいたします。今までB5版で発行してまいりましたが、世の中のA4標準化に沿った変更です。また、手書きとワープロ文字の混在した紙面でしたが、全体をコンピュータ編集することにしました。担当ごとに原稿を文字データで打ち込み、それをマイクロソフトのパブリッシャーという編集ソフトで統合編集していく方法をとります。ワープロを打てれば問題ないんですが、経験のない職員は猛特訓の最中(ノハズデス)。しかも、レザープリンターで直接印刷しますので写真も多く取り入れることもできます、きっとお伝えできる内容がより豊かになることと思います。どうぞ、前にも増して可愛がっていただきますようお願い致します。
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大阪の事件 vol.200-2001/07/01
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なんと痛ましい事件でしょう、つい3ヶ月前に卒園した青組さんと同年齢の子ども達が恨むべき犯人の手にかかってしまいました。無抵抗に逃げまどう子ども達の事を脳裏に浮かべ、今まで愛し慈しんできたご家族のお気持ちを考えたときやり場のない怒りがこみ上げてきます。
お亡くなりになったお子さん方、ご家族の皆さまに心から哀悼の意を表します。
今までに犯人は異常な事件を繰り返し起こしてきています、司法・警察はそれを野放しにしてきた責任をどう感じているでしょう。対処の仕方によっては未然に防ぐことができた事件のような気がしてなりません。この事件以来、模倣犯が続出しているとのこと、職員一同、園周辺での不審者には全員がアンテナを高くし注意を喚起すること、子ども達が大好きな散歩途中、道で行き交う人にも同様に細心の注意を払うこと(勿論、失礼の無いようにすること)、など確認しあっています。
今月号で『ひこうきぐも』も200号!
よく続いたものだと思います。昭和58年5月に創刊号を出して以来、足かけ18年、子育ての参考にしていただける内容をと知恵をしぼりながら、年に11回の発行(8月は休刊)を重ねてきました。
200号を機に9月に発行する201号からは、A4版4ページにレイアウトを変える事に致しました。今後ともご愛読をよろしくお願い致します。
「ご意見・ご要望解決のための仕組み」について
新年度説明会の折りにお話しをしていましたこの件につきまして、第三者委員の方も決まり皆さまに正式にご案内できる体制が整いました。後日、文書でご案内いたしますので良くお読みいただき、何かございましたらご遠慮なくご意見ご要望をお寄せ下さい。
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メールアンケート vol.198-2001/05/01
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http://homepage2.nifty.com/tsubomi/
tsubomi@mb.infoweb.ne.jp
↑この二つの文字を見て何を意味するか、お判りの方手を挙げてください。
インターネットが一般化して、日本でインターネット接続業者(プロバイダー)ができたのが1993年のことです。しかし、この7年間でその普及率は凄まじいものがあります。ご存じのようにインターネットとは「世界中に広がったコンピューターネットワークの集合体」です。最近では、大学に入って先ずやることはインターネットの利用法の特別授業です。一人一人の学生に大学がメールアドレスが与え、ホームページで情報を収集したり、多くの人とメールのやり取りできるようになることが必須条件となっているわけです。皆さんも職場等で利用される機会が多くなっていることを肌で感じていることと思います。積極的にチャレンジされてみてはいかがでしょう。
さて、上の段はつぼみ保育園のホームページのアドレスです、今年の4月に大改訂を行って、園のニュースや給食献立表を貼り付けています。新年度説明会でもご紹介しましたが職員の田村が中心となって担当しています。下の段は園のメールアドレスです。
ホームページをご覧下さいと、お手紙も出しましたが、皆さんにご覧いただいているかどうかの反応が今一感じ取れません。押しつけがましいのですがメールアンケートを実施したいと思います。ご自宅や職場でご覧いただいた方は、ご感想でも「見たよ」だけでも結構ですからメールを頂けたらカウントしてみたいと思います。さぁて、つぼみ保育園の156世帯の内、何%のご家庭でインターネットを利用されているのでしょうか。
※つぼみ保育園のホームページアドレスとメールアドレスは2005年8月に変更しました。
現在のアドレス
http://www.hojinkai.ed.jp/tsubomi/
tsubomi@hojinkai.ed.jp
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苦情 (苦情解決に向けて、システム作りが法制化) vol.192-2001/02/01
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昨年9月に『社会福祉法』という法律の第82条に『社会福祉事業の経営者は、常に、その提供するサービスについて、利用者からの苦情の適切な解決に努めなければならない。』と定められました。社会常識から当たり前のように思われることでしょうが、これは法律ですのでその解決へ向けての組織を作りそれを明文化し、行政に届けて実施をしなさいということになるわけです。
当園では、ご利用にあたってお気きづきのことやご意見・ご要望などありましたら遠慮なくお話しいただきたいと思っています。しかし、中には、「子どもを人質に取られていて、意見や要望を保育園に直接言えない」という方もいらっしゃるのではないかと思います。
保育という仕事は、人間が人間を育てるという行為であり、機械の導入等で省力化を図ることができず、極めて労働生産性の悪い業務だと言えます。つまり人と人との関係だけに職員の不手際や対応が悪いと感情的になられたり、不愉快に思われたりする方もいらっしゃると思います。子どもを育てるためには、親と保育園が何でもざっくばらんに話し合えることがとても重要だと思っています。保育のことについてのお悩みや、不愉快なこと、ご意見・ご要望は今まで通り電話や送迎時に園長・主任・保育士へ何なりとお申しつけください。私どもは、可能なかぎり保護者の皆様のご要望にお応えしたく最大の努力をはらっていくつもりです。
とはいうものの、この度このようなことが法制化されたわけですから、苦情解決責任者・受付担当者、さらに皆さまからの声を園外の方に聞いてもらうための第三者委員なる方々を選定し、それぞれの氏名・役割を文書にして福岡市に届けなければなりません。その上で、保護者の皆さまにメンバーを公表する事になります。
結果として、より一層多くのご意見をお聞かせいただけることになると期待しています。どうぞよろしくお願いいたします。
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インド再訪 vol.188-2000/06/01
5月8日から14日までインドに行って来ました。旅の目的は識字率向上プログラムを立ち上げようというものです。
実は、1997年5月、丁度3年前にインドに誘われ、旅をしたことがあります。その時、被差別階層(=ダリット・不可触民・アウトカースト)の人々の悲惨な現状を目の当たりにし大きなショックを受け帰国しました。その時の様子はこの紙面でもご紹介致しました(*)。帰国後一緒に行った仲間とインドの子ども達のために何かしてあげようと衆議一決し識字教育施設の一つでもいいから建設してあげたいと募金活動を始め、保育園関係の皆さまから約250万円の浄財を集めることができました。
そこで、今回は5人の仲間とその具体化に向け、前回訪れたチェンナイ(マドラス)の差別撤廃運動事務局との打ち合わせを行ってきたわけです。取り敢えず1000アメリカドル(約10万円)の現金を子ども達への文具代として渡し、その実施報告書・写真・領収書を送ってもらうことから始めようということになりました。先方を信用していない訳ではありませんが、このような小さなことの積み上げをしながらお互いの信頼を築き、大きな事業へと進展していく必要があります。
事務局の方々も我々の意図をよく理解してくれました。話し合いの翌日にはいくつかの施設建設候補地を案内してくれ将来の夢が現実に一歩近づいた様な気がしました。その後ニューデリーに飛び、運動の最高責任者との会談、日本大使館への事業立ち上げの報告などを済まして帰国しました。 |
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発表会、感動の舞台 vol.185-2000/03/01
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2月26日、発表会を行いました。多くの保護者の方には子ども達の舞台に惜しみない拍手をいただきましたことを感謝いたします。
それぞれのクラス で普段の保母と子ども達の生活ぶりが遺憾なく発揮され、歌あり、踊りあり楽しい舞台だったと思います。特に、最後の青組さんのバッハは保育園生活の総決算といえるでしょう、毎年のことですが心から感動を覚え熱いものがこみ上げてくるのは私だけではないはずです。後一ヶ月、卒園・進級を控え園生活を存分に楽しんでもらいたいと思っています。
また、父母の会役員の方の劇も大変楽しいもので、お忙しい中に準備をしていただいたことに心から感謝申し上げます。
" 実家 "としての一時保育
平成5年から福岡市の指定を受け一時保育を開始いたしました。週3日以内、お仕事や勉強で利用される方、半月だけ看病や研修で利用される方などに喜んでもらっています。
ところが、最近、国の少子化対策の一連の動きを受けて、専業主婦の方の子育て支援として一時保育を活用してもらおうということになりました。
例えば、子育ての悩みを相談できる人が近隣にいないお母さんや、子育てに行き詰まって自暴自棄になっているお母さんなどに気軽に利用してもらい、離乳食の作り方・排泄自立のタイミング・しつけのあるべき姿などを保育を通して知ってもらったり、時々自分の自由になる時間を持つことで"失いかけてる自分"を取り戻してもらおうということです。いわば、保育園をお母さんの
実 家 がわりに利用してもらおうということなのです。 一 時保育の指定保育園として子育て支援になるということであればと思い、当園でも積極的に取り組もうと考えています。もし皆さまのご近所で、一人でお悩みの方がいらっしゃったら一言お声をかけていただき園に相談することをお勧めして下さい。
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青組さん、頑張る vol.184-2000/02/01
1月30日(日)、福岡サンバレスで21ヵ園の市内保育園が出場する「たんぽぽ音楽研究発表会」が行われ、青組さんが素晴らしい演奏を披露いたしました。
客席で聴いていて、バッハのメヌエットを奏でる一人一入に、いつものあの幼さとはまるで違った凛々しさと気高さを感じました。きっと保護者の皆さんも同じ気持ちだったことと思います。
以前にもご紹介したことがありましたが、各園の演奏スタイルに違いがあることを聴きに来られた方はお気づきになりましたでしょうか。 広い大きなホールである程度音量を出さなければいけないと考えていらっしゃるからだと思いますが、4〜5人の保母さんが電子キーボードでメロディからバスまでと沢山のパートを演奏し、園児が鍵盤ハーモニカで全く同じメロディ部分だけを演奏するスタイル、あるいはもっと簡単な伴奏的な部分を演奏するスタイル。これでは子ども達自身が出す音は電子楽器の大音量にかき消されてしまいます。
つぼみ保育園では園児の鍵盤ハーモニカやアコーディオンが主体となってそれぞれのパートのメロディを演奏するスタイルをとっています。音量をある程度犠牲にしてでも、子ども連の奏でる鍵盤ハーモニカやアコーディオンそれぞれのそのままの音が聴こえなければ意味がないと考えているからです。
大音量を出す合奏と比べると少々もの足らないとお感じの方もいらっしゃったと思いますが、子ども達一人一人の音がきれいなハーモニーをつくり出し聴く人の心に響く合奏ができたのではないかと思います。楽器編成はおのずと会場を選びますがつぼみの編成では園のホールくらいの広さが最適なのです。
毎日少しずつの園での練習風景、きりりとした顔で指揮をする保母を見つめその指揮棒の振り下ろされる瞬間にみなで一つに合わさった音を出そうと意識を集中している姿・・・…、それはどんなオーケストラでも変わりない姿勢だと思います。練習時のこの光景とこの時の音を保護者の方々に見せてあげたいと毎年強く思います。
2月26日の発表会ではきっとまた心に響く演奏を、もっと間近に聴かせてくれることと思いますのでどうぞご期待下さい。 青組さん、素敵な音楽をありがとう。 |
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子どもの権利条約 vol.183-2000/01/01
前号で日本での児童虐待のことを書きましたが、1月5日朝日新聞の天声人語で世界の子どもたちの権利がいかに侵されているか、大人達がこの権利条約をいかに軽んじているかの記述がありましたのでご紹介します。
▼1989年、「子どもの権利条約」が国連で採択された。「子どものための世界サミットがニューヨークで開かれたのは、翌年のことだ。71カ国もの首脳が集まって、子どもの死を減らすことなど、いくつかの目標を掲げて2000年までの達成を約束した。
▼国連児童基金(ユニセフ)が、『2000年世界子供白書』で約束が守られたかどうか検証している。五歳未満の子どもの予防できる兄は、20%減らすことができた。学齢期の子どもの80%が小学校へ行けるようになった。成果がなかったわけではない。
▼一方で、エイズや児童労働など新たな危機が子どもたちを脅かしている。とりわけ深刻なのが、90年代に入って頻発している武力紛争や内戦に子どもたちが巻き込まれていることだ。この10年で200万人以上の子どもが殺され、1800万人以上が地雷などで負傷した。
▼子どもが武器をとって戦うこともある。安くて軽い武器が開発されかために、兵士や使い走りとして18歳未満の子ども30万人も、武力紛争にかり出されている。子どもは命令に逆らわない。危険な前線に送られる。小さくで目立たないゆえの任務もある。子ども同士、殺し合うことだってある。
▼暴力にさらされつづけると、暴力をありふれたものと思うようになる。人が殺されるところを日にしたり、死ぬほどの恐怖を味わったりした心の傷がいやされない子どもたちが、1000万人を超える。その子どもたちが次の社会をつくる。
▼60億の人口の3分の1以上が子どもである。子どもを愛し、子どもを尊ぶことが、世界の平和や進歩につながっていく。そう確信して子どもサミットが開かれたはずだ。それなのに、先進諸国は約束の実現を2015年まで先送りしてしまった。
▼あのとき参加したリーダーの何人が、子どもたちへの約束を覚えているのだろうか。 |
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見逃さないで!! こどもの虐待
vol.182-1999/12/01
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最近、児童虐待のことが保育園関係の研修会などでテーマとして取り上げられることが多くなりました。なぜでしょう。
家庭という密室での児童虐待がなかなか発見されずに、ついには痛ましい結果となってしまうケースがあまりにも多くあっています。病院では、こどもがケガでかつぎこまれた時に付き添った親の説明があいまいだったり、不自然なケガ、例えば、まだ歩けそうもない赤ちゃんがつかまり立ちをしていて転んでケガをしたなどの場合、まず虐待があってるのではと考えるそうです。
このようなことを防止するには、痛ましい結果になってしまう以前に虐待を早期に発見し対応することが大切なことなのは明らかです。
福岡市でも虐待があってることを知った方からの情報を得て対処しようと「こどもの虐待防止連絡会議」を組織し下記の窓口で相談を受けています。ところが近所付き合いがうすれてしまった現代では家庭内での行為はなかなか判るものではなく、効果が上がっていないようです。
そこで、こどもたちと保護者との接点が多くある保育園で虐待の早期発見をと期待され、状況判断の指針などもいただいています。当園のこどもたちがまさかこのような境遇にあろうはずはないと信じていますが、何も罪がないこどもたちを虐待という悲惨な事実から救うことができるのであれば協力したいと考えています。
もしも、あなた自身にこのことでのお悩みがあるのなら、また近所で虐待が繰り返されている事実をご存じなら園長までご連絡いただけたらと思います。ご相談にのるか、しかるべき機関をご紹介し善処したいと思います。
福岡市児童相談所 TEL 522-2737 FAX 522-2795
東区家庭相談室 TEL 631-2131(内線285)
東区保健所予防課 TEL 651-3831
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運動会も無事終了、そして、ダイエーも優勝! vol.180-1999/10/01
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前日まで、台風のコースに一喜一憂しながら迎えた運動会も無事終了しました。子ども達が普段と変わらない生き生きしさで運動会を楽しんでくれて良かったと思っています。子ども達の成長発達は驚くほど速いもの、一緒に生活をしている大人達は、その変化に中々気付きません。保育園での各行事は、そのような変化を肌で感じるいい機会です。特に、運動会では、うちの子にあんなことが出来るなんて、とか、あんな一面があったのかというような発見が随所に観られたのではないでしょうか。
しかし、子ども達がお見せした運動種目の数々は、1ケ月位の練習で出来るものではありません。4月からの "運動あそび" で、ゆっくりと培ってきた成果なのです。運動会のための練習ではなく、日々の成長発達を支えることが当園の
"運動あそび" の原点です。運動会の翌々日にはもう新しい遊びにトライしています。盛会の内に終えた運動会も、準備から後片付けまで色んな形でお手伝いを頂いた多くの保護者の皆様のお陰です、心から感謝申し上げます、ありがとうございました。
さて、当日の夜何が起こったのかは、野球に興味のない方でもご存じでしょう。そう、ダイエーの優勝です。あの瞬間私たちはホールで反省会の真っ最中でした。アルコールも手伝って9回裏ツーアウトになって興奮は最高潮、最後の打者が空振り三振に倒れた瞬間、誰かさんの「プールに水を張ってます」の一言で全員プールに、プールの滑り台からパンツ1枚になった男達がドボーン!女達も洋服のままドボーン!みんなで万歳コール、近所の方から「ヤカマシイ!」と電話があるまで大騒ぎでした。ご近所の皆さま、大変お騒がせを致しました。心からお詫び申し上げます。
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母乳か?人工乳か? vol.173-1999/02/01
赤ちゃんのお乳の栄養には母乳と人工栄養があり、もちろん母乳が最もすぐれているわけですが、これに対する人工栄養の一般のイメージ評価は各時代のムードやミルクの発達レベルともからんでゆれ動き、授乳という成長の出発点で多くの母親を惑わせてきたのだろうと思います。ある本の一節を紹介します。
昭和30年代の前半頃までは人工栄養は一般にもきわめて不評でした。発育は劣るし消化不良が多かったからです。しかしその後はミルクのレベル向上で発育などの点では大変良好となり、母乳に比べて目に見える明らかな差はほとんどなくなりました。そして乳業会社の宣伝活動もあって人工栄養率は急速に増加し、母乳栄養が減ってきました。そして当時アメリカではほとんど人工栄養で占められていたこともあって、日本の社会ムードとして逆にミルク栄養のほうが近代的でスマートである、母乳栄養は母体の体型をくずすとか、人前で胸をはだけて哺乳させるのはダサイ、野暮であるなどの風潮がおこり始めました。マスコミ論調もこの傾向を助長するように思われました。
このような風潮で母乳はますます減少し、昭和50年頃には20%近くになりました。母乳哺育は世界的傾向で減少し、これを憂慮したWHO(世界保健機構)や日本の厚生省ではこの頃から活発な母乳推進活動を展開しました。その効果は予想以上にあり、母乳第一主義の風潮は間もなく日本社会に定着しました。しかしこれは一面では"母乳信仰"ともなり、ゆき過ぎる傾向もあり、母乳の出ない母親は怠慢で母親失格であるとか、あるいは逆にミルクは毒物であるとかいうゆき過ぎの風潮もおこりました。当然、人工栄養、混合栄養にせざるを得ない母親は強いコンプレックスと子どもの健康について強い不安感をもたされました。そして大なり小なりノイローゼの状態にさえなる人が少なからず生じたわけです。
このようにミルクは、母乳よりすぐれているというイメージから毒物であるという感じ方まで極端から極端にゆれ動いているわけです。いうまでもなく、ミルクは人工栄養の最も有効な素材になっているわけですが、その原料は牛乳です。ところが、現在のミルクは母乳をモデルにして改良に改良を重ねて、牛乳とは異質の食品と思われるくらいすっかり違ったものになっています。母乳に較べても品質にほとんど差がなくなっているといってもよいでしょう。
「母乳が足りなくても安心」二木 武 (ハート出版)より
この他、免疫効果の点でも母乳の優位性がいわれていますが、風邪などの罹患率の統計では両者の間に有意差は認められないとのデータもあります。母乳哺育を優先した方がいいとはいえ、個々の事情により人工乳を使用することに何ら問題はない訳です。肝心なのは授乳する人の愛情の持ちようだと思います。気持ちはテレビにいってたり、イライラしての授乳では折角の母乳も食料としての意味しか持ちません。母乳でも人工乳でも、目と目が合って、愛情いっぱいに語りかけながらの授乳が赤ちゃんの情緒を安定させ、お腹と一緒に心も満腹にさせるものです。
さて、ここで最近話題になっているダイオキシンの話に触れてしまうとかえって混乱を招くと思われるのですが、避けられない事でもありますので少しだけ触れてみます。
ダイオキシンのいちばんの恐怖はお母さんと赤ちゃんとの関係 にあります。なぜなら、お母さんの体にたまったダイオキシンは、胎盤や母乳を通じて赤ちゃんへと移ってしまうのです。女性が子供を産むのは大体25歳から30歳くらいだとして、この間にため込んだダイオキシンの約半分が母乳を通じて赤ちゃんに送り込まれてしまうそうです。国、研究者、医者などにより研究が進められ、母乳についての考え方が議論されることになるでしょう。今、ここで私が短絡的に結論めいたことを書くのは差し控えますが、最大の関心を払う必要があることに間違いはありません。
母乳じゃないからと悩まないで下さい。
母乳だから万全だと自信過剰にならないで下さい。
授乳できる幸せを十分に噛みしめて下さい。 |
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友愛セールのお礼 & 園舎を塗り替えます vol.172-1999/01/01
[友愛セールのお礼]
父母の会役員と友愛セール実行委員の 皆さまに、企画から準備まで大変なお世話をいただき、さらに、会員の皆さまのご協力によりまして盛大に友愛セールが開催されました。我々も園としてのお店を出させてもらい、楽しく参加させていただきました。
12月の親子保育の日にもお礼を述べさせていただきましたが、収益金でビデオカメラを買っていただきましたことを改めてご報告し、お礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。
[園舎を塗り替えます]
昭和58年に増改築のとき塗り替えた園舎の壁が15年経過し、汚れたり、亀裂が入ったりしてきましたので塗り替えることにしました。また、遊具やフェンス、室内の天井や巾木などにも手を加えたいと思っています。
今回は知り合いのデザイナーと相談し、保育園の望ましい色彩環境について十分な検討をし、全体の配色バランスを考えながら、一つ一つの色を決めようとしています。彼の事務所でコンピューターを使い、園舎の写真に実際に色を落としてみると、ワクワクしてくるようなおしゃれに生まれ変わったつぼみ保育園の姿が映し出されます。3月の末に工事をします、工事中はご不便をかけるかもしれませんがよろしくお願い致します。 |
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雨もまた楽し(運動会) vol.169-1998/10/01
運動会お疲れさまでした。午前中は天気も良く快適に運びましたけれど、午後からは雨、切れそうもない雲を見上げて思案気な私に、青組さんが「リレーできると?」、卒園児が「パン食い競争できる?」と心配そうに尋ねてきました。楽しみにしていてくれる子ども達に押されるように、体育館への移動を決めました。その後、皆さんのご協力を頂きスムーズに再開することができました。
前日、雨の予想もありましたので体育館での実行打ち合わせを綿密に行い、かけっこやダンス、保護者の綱引きやリレーなどは中止、するにしても部分的にあれとこれは省こうなどとかなり縮小したものになっていました。しかし、途中から体育館に移動して行うことまでは考えが及ばず、見切り発車で午後の部を始めることになりました。いざ始めようとすると、折角練習したのだからとダンスも1曲、予選をしたのだから大人の決勝もと欲が出てしまい、綱引きは腕相撲に、リレーはいもむしゴロゴロリレーにと時間を気にしながらも、結局、形を変えながら全部やってしまいました。最後に青組さんのリレーがいつものように大きな声援に包まれて最高潮の中に閉会、子ども達も職員も大いに満足した運動会になりました。
これも、父母の会の役員の皆さんをはじめ、前日、当日朝、後片づけのお手伝いを頂いた皆さん、つぼみ太鼓に出演された皆さんなど大勢の保護者の方々に支えられたお陰と、職員一同心から感謝致しております、有り難うございました。 |
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布オムツを使う理由 vol.168-1998/09/01
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入園の相談に来られる乳児のお父さんお母さんに、つぼみ保育園は布オムツを使いますのでというと怪訝な顔をされるケースがよくある。ほとんどの家庭で紙オムツをお使いの昨今、布オムツを使うということは、お釜で飯を炊いたり、洗濯板で洗濯をするのと同じくらい時代錯誤だと感じることなのかも知れません。しかし、園としての意図をお話ししてみると分かっていただいているようです。このことについて私たちの考え方の一部を的確に表してくれている文章がありましたのでご紹介いたします。
紙オムツが普及してオムツを換える回数が減った。濡れていて気持ちの悪いオムツを換えてやるときは「よしよし気持ち悪かったね」と言葉をかけながら昔の母親は頻繁にオムツを換えてやった。そこには母子の感情交流があった。それが今は減っている。赤ちやんが自分が気持ちが悪いんだと言っても、共感してくれる人がいない。感情というのは嬉しいと思っている時、理解してくれるから、もっと嬉しさが出てくる、そこでもっと嬉しさを表現しようとする。泣いていやなことを表現すると飛んで来てくれる。それで満足すると情緒が安定する。泣いて訴えて反応してくれる人がいるという事で、自分は人と一緒に育っていくという事を感じ取っていくわけです。
布オムツの不便さが、かえって情緒の安定や人間関係の基礎づくりに一役かっているということです。この他にも、活発に活動するこの時に、数回分のおしっこ(登園後に外したオムツを計ると300グラム〜500グラムあることがあります)を股下に溜めたままでは動きがかなり制限されること、いくら改良されているとはいえ通気性の悪い紙オムツを長時間しっぱなしではオムツかぶれは避けられないことなど、園での布オムツ使用の理由はあげられます。
また、生産の際に大量のパルプを使うことは森林破壊につながるし、再使用できない紙オムツは大きなごみの山を築く。環境問題としてもマイナス要素をはらんでいます。
紙オムツは確かに便利です、絶対にだめだとはいいませんが、緊急やむを得ない時以外は家庭でも布オムツを使うようにしてはいかがでしょう。
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